へなちょこフリーター日記

おもしろおかしく生きてきたいね

欠陥人間、リコールにノーと言う。

 

いっそのこと、病気、ということにしてしまえば、このやっかいな気質ともうまくやっていけるかもしれない。

 


幼いころの親との関わり方のせいなのかもしれないし、遺伝子とか、脳の回線がこんがらがってるとかもありそうだけど、治すにしたって魔法みたいにくるくるぽん、とはいかないわけで ( シンデレラ的な時限爆弾式ならなくはないが ) 、とにもかくにも時間を稼ぐため、治療法不明、未知の病ってことにしてみる。

 


やっかいな気質というのは、例えば他人への関心が薄いところ。未知の五感を体験できるアトラクションとしてしか、どうやらわたしは他人のことを、とらえることができないっぽい。

 


小説やエッセイに描かれる人物になりきることは三度の飯より好きなんだが、好物はなんだ、昨日は何をしてただとかの意見交換には、とんと食指が動かない。触り心地のない言葉はどうにも持て余してしまって、どうしよどうしよと焦っているうちに、人との繋がりがぽろぽろ両手からこぼれていく ーー 。

 


この気質を「頑張ればなんとかできる」と思っていると、これがなかなかどうしてツラいものがある。

 


特効薬の作り方はわからないなか、人と関われば関わるだけ問題は更新されていく ( ブログの更新はむつかしいというのに )  。課題の山に囲まれていると、世界に自分ひとり、みたいな気分になってくる。ーー 要するに、死にたくなる。

 


なまけている。逃げている。楽をしている。…… もう嫌なのだ。そういう鋭い言葉に刺されて、血を流しながら歩いていくのは。わたしはもっとかろやかに穏便に、日々を送りたいのだ。

 


対処療法でいいじゃあないか。難病、ということにして、わずかでも生き延ばす術をカッコ悪く探したってかまわないばずだ。

 


先端恐怖症とかトライフォビアとか、あれは意思でどうこうできるものではないじゃないですか。なんでなのか自分でもわからんけど、怖いもんは怖い。

 


手触りのない言葉で人と関わるのが、どうにもツラい。認識を変えてみたり、対人関係を見直したり、色々試してきたけれど、手放しで楽しいとは思えなかった。人との関わりで得られる喜びを、苦しさが上回ってしまうなんて …… 人間として欠陥品だ。

 


あーあー。

 


認めたくないけれど、たしかに、この感覚は「ある」。どうにもこうにもわたしの一部だと割り切って、一緒に生きていくしかない。そう開き直ってみる。

 


人と関わる、それはつまり生きていく、ということそのものだ。

 


わたしは生きていくうえで、けっこう重いハンデを負っちゃってるらしいぞ。なんか知らんけど、気づいたらそうなってた。ひととしてどーなのー、って責めても、どうもならだった。

 


万年骨折してるようなもんだ。人目につかないところの骨がぽっきりいってる。そんな風に意識して、この「やっかい」とうまくやってく道を見つけたいと思う。

 


そうしてはじめてみえてくる世界も、きっとどこかにあるだろうさ。