へなちょこフリーター日記

おもしろおかしく生きてきたいね

カメレオンの生き様

 

とある占いによると、へなちょこフリーターはカメレオンタイプらしいのだ。

 

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タイプの性質を解説するページに目を通しながら、たしかにたしかにと、ひとり静かにうなずいた。

 

特に「よくも悪くも周りの影響を受けやすいでしょう」という文面は、すとんと腹に落ちた。

 

映画を見れば、アクションヒーローの強さに憧れ、ランニングを始める。本を読めば、ストーリーに射抜かれ、キーボードを叩く。歌を聞けば、伸びやかな歌声に心を掴まれ、カラオケボックスへ駆け込む …… とにかくミーハーなのである。

 

他人の気持ちにシンクロしやすいこともあって、趣味だけでなく、気分までも移り気だ。

 

外界に触れる側から刻一刻と、『自分』という存在は形を変え、色を変えていく。いったいどこからどこまでが『わたし』なのか、頭をかしげる有様 …… 。

 

そんな不確かな存在の輪郭を少しでも安定させようと、自分の側に置くものには、モノにしろ人にしろ、人一倍気を遣って生活を送っている。

 

そして現在のへなちょこフリーターは、絵を描きたくてたまらない。

 

もちろんこれも外界との接触の結果。『スヌーピーミュージアム展』に足を運んでからこっち、棚の奥にしまい込んだペンをいそいそと机に並べて、ちょみちょみ、ぐるぐる、線を引く、線を引く、線を引く …… 。

 

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有名なピーナッツの面々を形づくる生きた線を前に、へなちょこフリーターは、生意気な感想を抱いた ーー

 

こんなんでいいんか。

 

作者のシュルツが、実際どんな風に描いていたかまではわからない。けれどどの線も、いかにも気が抜けている。

 

「完璧に描こう」「上手に型どろう」というような気合いの入りようは、会場中のどのコマからも感じられなかった。

 

するすると、ときにがたがたと歪みながら、スヌーピーが、チャーリーが、木が、ソファーが、「そこにあるように」線が伸びていく。

 

印刷物では黒一色に見えるベタ塗りの部分からは、インクののたくった跡が見てとれた。完璧でない筆跡。ーー これは人間が描いた線だ。

 

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楽しみながら、もしかしたら苦しみながら、思案しながら塗ったのだろう。インクの黒のひとつひとつに、心が通って、まるで踊っているようだ。

 

時代を経るにつれ、どんどんデフォルメされて、シンプルに愛らしく目を垂らしていくスヌーピー。初代と後期では、もうまったくの別犬である。もしもシュルツが変化を恐れる性格だったなら、こうはいかなかった。

 

もしもわたしがシュルツだったなら、初代の形を保つことに必死で、スヌーピーの本質を見失ってしまったんではなかろうか …… 。

 

絵を描くのは、昔から好きだった。

 

いつからか「完成させなければ」と考えると、線を引く手がぴたっと止まるようになった。完成像が見えない。どう描けばいいかわからない。完璧な構図を求めるうちに、ノートは下書きの線で真っ黒になる。ペン入れを始めたら始めたで、「正解」にたどり着けるだろうかと考えて、胃のあたりがずしりと重くなる。

 

裏の白いチラシを新聞紙の束から見つける瞬間が、たまらなく好きな子供だった。

 

宝物をもらったような気持ち。これで絵を描ける、何を描こう、何で描こう ーー 想像するだけでわくわくした。朝から夕方まで何時間でもペンを握っていた、あの頃のわたしが羨むくらい、今では絵が上手くなったというのに、「お絵かき」のやり方は思い出せなくなっていた。

 

こんなんでいいんか。

ーー 楽しんでよかったんか。

 

シュルツはきっとピーナッツの面々を愛していた。スヌーピーたちは、そこに、たしかに存在していた。

 

完璧な造形を与える神として君臨することだってできたのに、シュルツはきっとそうしなかった。スヌーピーたちが「そうあるように」、正解を知るための探求の道程として、インクを走らせていたように、わたしには見えた。

 

額縁の向こうに、区切られたコマの中に、不確かな世界が広がっていく。

 

その世界を前に、人々は笑顔になる。世界の断片をかばんにぶら下げて、断片に紅茶を注いで、生活を続けていく …… 正解を定める必要なんて、全然、なかったのだ。

 

…… 描きたい。

 

 

おもいおもいにシャッターを切り、展覧会を楽しむ人々をかきわけながら、展示の中盤に差し掛かる頃にはもう、たまらなく絵を描きたくなっていた。

 

紙がいる、なんでもいい、まっさらな紙に、ペンを走らせたい。ネコを描きたい、植物も描きたい、ああ、なんでもいい!  線を引きたい! 紙があればそれでかまわない!  

 

帰路についても、展覧会から持ち帰った興奮は冷めやらず、帰宅早々ペンを握った。1時間はあっという間にすぎた。まだ描きたい。これができるなら、あれもできるかも。「正解」の枷を外せば、完成像は想像を悠々と超えて、予想外のところに着地していく。

 

ーー ああ、『描く』ってこんなに楽しかった。

 

正解を形にするためなら、ペンを取る必要はなかった。書くにしろ、描くにしろ、見たことないもの、想像したこともないものの肌触りを確かめるために、人はペンを走らせるのだから ーー 。

 

ミーハーで、ぶれぶれで、これからもへなちょこフリーターは己の色を変え続ける。

 

定まった世界の魅力に魅せられて、せっかく思い出せたお絵かきのやり方を忘れることもあるかもしれない。

 

けれど、シュルツの線はなくならないし、世界に目を向ければ、揺らぐ世界の波にのって生きている人は、案外たくさん居るものだ。

 

そんな人々に出会える限り、きっとわたしは「この色」を思い出すし、また新たに更新していける。

 

カメレオンの静かな戦いを、どうか皆さん、見守っててくださいな。

 

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