へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

夜も冬も裸足でも山でひとりペンをにぎって

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文章をうまく書けるようになるかもしれない。

 

親指と人差し指の間でひらひら揺れる、無色セロファンのような予感だけれど。


小説・エッセイ・ライトノベル・批評に雑記――あらゆる文章は、有史以前からこの世に存在する絶対的な造形物――山や川、海とおなじに思えた。

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例えば、岩を写生するとする。


陰影をとらえ、輪郭をなぞり、表面に生えた苔、粒子の質感を書き足せば、紙の上には " 岩 " があらわれ、本物とそっくりに描けていれば、絵がうまい、ということになるだろう。


文章であれば、色や手ざわり、形を何かに例えたり、自分の身長と岩とを比べて大きさを表現する。読者がまるで岩を前にしたかのように追体験させられれば、それはよい文章だ。

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絵にも文章にも作法があり、上達するコツがある。


絵であれば、上達したかどうかわかりやすい。プロの制作過程を記録した動画を見て、その筆運びをマネることもできる。細い線をひいて――、〇〇には◇◇色をつかうと良い――、出来上がるまでのプロセスを言葉にすることも比較的容易だ。


一方、文章。もちろん、絵と同じに基礎はあるし、ハウツー本だって書店にいけば手に入れられる。


人は言葉を受けて、それぞれの頭でそれぞれ違った像をむすぶ。文章がどんな結果を生むのかは、一定ではないし、可視化は実質不可能。これこれこうすればこうなる、と断言するのはむつかしい。


そういう、ものを書くうえでのむずかしさを、小説を書きてみたいと夢見ていたわたしは体験できていなかった。

 

ブログや、小説らしきものを書こうとし、何度も挫折してきたが、それは、文章をつくるのむずかしー!というものではなかった(自分では気づいてませんでしたがね)。

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はじめの岩の例でいえば――わたしは岩をつくろうとしていた。


はりぼてを作ろう、粘土でミニチュアをこさえてみよう。それならいつかは完成しただろう。

 

しかし、わたしは正真正銘、目の前の岩と外見も中身もそっくり同じ、寸分たがわぬコピーをつくろうとした――それが「もの書き」だと信じていた。


……そんなこと、当然できっこない。努力が辛いわけであるーー上達しようがないのだから。


小説には作者がいて、もちろんみんな、普通の人間だ。比喩として「神」と呼びあらわすことはあっても、実際後光をしょってたり、霞を食べて生きて(それは仙人だけど)はいないと小学生だって知っている。

 

その公然の事実を、わたしはわかってなかったんだな。

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ひとつの物語は、海や山と変わらぬ、不変の美しい自然物だった。

 

その再現性のなさに、ただただ圧倒された。似たものをつくりたいのなら、神になる以外に方法は見当たらないのだけれど、自分がただの人間であること、それはよくよくわかっていて、だからこそ、目の前の景色に心を揺さぶられている。


美しければ美しいほど、わたしも、書きたいと思った。思えば思うほど、頭の中は " 無理 " という言葉で埋めつくされ、ノートに向かうことが苦しくてたまらなくなっていく。


間をあけながらも、一年、ブログをつづけ、書くことが日常となってようやく、自分の手元に紙があることに気づいた。そこには、どうにか岩を表現しようと言葉を書きなぐったあとが残っていた。

 

ああ、きっとこうやって、プロの作家も言葉の海を作っている。


岩を見せる・触らせる・聞かせる・登らせる――岩をつくらずとも、紙とペンで、電子の文字で、人の心は動かせる。


ひとつの物語は、神さまの腹から奇跡みたいにころん、と生まれてきやしない。

 

一文字一文字、誰かが書いてできていく。

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歩くべき道をやっと見つけた気がする。

 

目的地を意識しながら進めるのなら、たとえそこまで幾年かかろうと、なんとか正気をたもってられそうだ。


また挫折するとしても、道が続いてさえいれば、夜間行軍、霧が立ちこめ一寸先が見えずとも、わたしはきっと、前へ前へと歩いていかれるーー