へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

新聞紙まいてつくったみたいな武器で

日帰り旅行をして、風邪をひいて、繕いもの。まだ明日も休みな気がしてる。排水溝を白く染めた桜は海なのか空なのかへこぼれていって、ため息は湿って、夏になる。


フツーには遠く、それでも、明日、顔がぴりぴりと苛立っても、一日働いて、そしたら誕生日の月になる。

 

わたしも遠くへ行けるんだとおもってた。ないものだらけで、また共通項から外れちゃったけど、これが、きっと、正解。


雑談を楽しめない自分を恥じた。冷たいとか努力不足とかで。でもできないもんはしゃーない。そういうもんだとおもってもらうしか、もうないのです。


自分の不幸に無頓着で、あっちがフツーに音させてるんだから我慢するのがフツーなのでは?隣家の騒音に耐える以外の選択肢なんてあるのかしら。


休むと怠ける。疲労の定義次第で、結局おなじこと。なんか知らんけど、わたしは疲れ果てていて……。


独りの平気なこと、苦でない沈黙ーー全然さびしくないことが、チカチカ、ネオン色に主張する。 ” ここに欠陥品がありますよ “ 。独りにおびえ泣いているひともおり、わたしはその子にイエスと言う。だから、だからわたしの耳がそれとおなじこころよい音を待ちわびたっていいじゃあないか。


独りで居たいと言うと、拒絶だ!、人間不信だ!と同年代からは糾弾され、年長者たちは揃いの悲しい目で顔の真ん中に罰をつける。独りは異端で、かわいそうだもんね。だけども、好きでも一緒にいられないとか、言葉が通じないとか、普通に、ある。逆に、会ったことなくても好きになれるし、案外大事にできちゃったり。


ヒトアレルギーなのだ。わたしだって楽なら群れてたい。どういうわけかできない。体質なのか、トラウマなのか、原因はわからないけど、どっちにしたって誰も悪くなくて、ただ、そういうものなのだ。


無意識や身体に振り回された末、残されたのは一握りの自由意思。こんな新聞紙まいてつくったみたいな武器で、人生を切り開け!なんて、はなから無理な話なのでした。

 

( 2018 / 03 / 30 , 20 : 38 )