へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

ひとりとひとりでいるだけなら、家から出てくるんじゃなかったな

わたしに嫌いと言われてきずつく人なら、とっくに好きになっていた。

 

始めて顔を合わせた喫茶店で、苦笑いを浮かべたSさんに言われた。

 " 嫌いって言葉は自分に返ってくるから、言わないほうがいいよ "

なにかと気にかけてくれる人だったのだけれど、あいにくわたしは気ままなフリーター。困りごとをぶらさげておらず、くりだされる善意を両の手から溢れさせ、ただ、へらへら、笑っていた。

 

思い通りに動かしてやろう、そのために今はこいつを気持ちよくしておいてやろう。

 

そういう算段は透けてみえるものだし、自分が正解の側にいられる安堵に体を乗っ取られていて、ここが戦場なら、あなた、すぐにでも殺されてしまいそう。

 

新品の500円玉みたいにぎらぎらした、労りや褒め言葉でくるんでやろうやろうと近づいてくるひとたちは、みんなおんなじ " 良い人の顔 " に筋肉がひきつれている。

 

マニュアルどおりに心配されて、マニュアルどおりにありがとうございます、って返す。本音から遠く離れたところで使われて、上滑りしてく言葉。ひとりとひとりでいるだけなら、家から出てくるんじゃなかったな。

 

その虚しさに比べたら、あとに続く関係がどんなに殺伐としようとも、「嫌いです」って伝えるほうがよくないですか?

 

好意でも嫌悪でも何でもいいから、わたしとあなたがここにいる、その意味が確かにあると、どうせならおもっていたいのです。