へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

わかりやすい世界をのぞんでます

風船どうしをこすりあわせたときの、あの、ぎじぎじした嫌な感じが靴のなかでする。正体はサンダルでこしらえた豆、なんだけど、肉にあるまじきこの音は、足裏がこれから徐々に無機物と化してく序章にすぎないのかもしれない…… ( 2日後、無事肉にもどった ) 。

 

名古屋にあって、前まで住んでた四国になかった、それは " 音 " なんだよね。

 

共感が集まってたツイートに「田舎は静かってのは幻想です!蛙の鳴き声とかまじでうるさいから!」っていうのがあって、たしかにあやつら大合唱ではあるけども、べつに騒音ではなくないか?

 

デシベルの話でいえば、蛙も、セミとか増水した川とかあったんだろうけど、わたしが「うるさい」と苛立つとき、そこにはいつも " 人 " がいて、つまりは「自分以外の人間消えろ!」っておもっちゃってる。気配だけ、あ、あと利便性も残して、とっとといなくなってくれれば……。

 

ひとがたくさんいるところで、ひとりぽっちになりたい。

 

自分だけを大切にしてればいいんだから、誰にどう思われるかを除けば、そこにはもう心地よさしかない。生きるため半永久的に特定の人物にそばにいてほしい気持ち、わたしにはないなあ。

 

踏切の甲高い音、列車に乗ってれば気になりようがない。わたしのためには注意が要っても、あなたが道を渡るときは黙していてほしいのです。

 

現代でも、ぎりぎりアウトな生感。

 

自分とおなじように他人を大切にしようとすると、なんでわたし生きてんの?って死にたくなって、いっそあいつを殺そうか、が仕様。理不尽なこと言ってるくらいで、ちょうど人に優しくなれてる、はず。