へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

旅にまつわる記憶と本と。

年明けに1週間ばかり帰郷した。

 

そのとき、名古屋での3年余りの日々が頭からすこーんと抜けおち、「あなたは四国から一歩もでてなかったんですよ」と記憶が書きかえられていくような、不思議な感覚を味わった。就職も退職も、フリーターとしての毎日も、ほんとうはただの夢だったんじゃ?

 

山と川に包囲された生まれ故郷に起きた変化といえば、コンビニの数が増えるくらいのものだった。まぁ花や木は刻一刻と成長し移ろっているのだから、細かくみていけば変化の数はむしろ都市部より多いのかもしれないけれど。

 

燃えるような夕焼け、テトラポッドで砕ける波しぶき、土にかえるまえの草のにおい、暗闇になにものかを見出せそうな静かな夜ーーそのどれもが新鮮さにかけ、言い換えればつまりそれは、なつかしいということ。からだの外側で淡くたゆたっているような記憶だから、もしかしたらこの身が朽ちても忘れられないのかもしれない。 

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放浪のはじまり

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『旅をする』とは、記憶の鍵を各地に隠してまわるようなものだ。

 

再訪したおりに過去に訪れたときの記憶を鮮明に思い出すこともあれば、文化も気候も異なる土地で「あっ!ここは××に似ているぞ!」と唐突に記憶の蓋が開くこともある。

 

路地の一角、海をみわたせる丘、坂のつらなる住宅地、初めて訪れた場所で得る既視感の糸を頼りに過去をたぐりよせ、元となる似た場所に辿りつくことを、好んでしょっちゅうやっている。

 

先日訪れた山間の神社は、まるきり京都の雰囲気だった。「なにがしかの矜持をもっていて、客に媚びない」というのがふたつの共通点だ。自分はそういう場所に惹かれる性分をもっている。

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GoogleMap

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GoogleMap で来訪済みの場所をチェックするのが好きだーーこれまで旅したことのある土地は21都道府県 + オーストラリア・フィリピン。通りすがった土地も含めればもう少し多くなる。

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ながらく出身地である高知県にとどまっていたため、西日本に打たれたマークが圧倒的に多い。

 

旅に目覚めたのは大学2年の春を目前にひかえた3月だった。それから7年(最近遠出はしてないので正確には4年)の内に21都道府県をまわったのだから、けっこう出歩いている方ではないかな?

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山陽の車窓と奥華子

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高速バスの存在は、大学に入ってすぐの頃に知った。

 

大型バスに乗る機会といえば修学旅行ーーあの大きなバスは「みんなで乗るもの」であって、個人でしかも自分のような未成年も利用できるということが、最初は信じがたかった。

 

1回生のわたしは知人をたずねるために、しばしば高速バスを利用した。わたしは子供の時分から車窓の風景というものがとても好きで、19歳になってもその性分はすたれなかった。広島までの片道4時間ーーひたすら外を眺めてはしゃいでいた。今おもうと何がそんなに面白かったのか不思議だが、眠りもせず本を読んだりもしていなかったようにおもう。

 

窓側の座席に座り、当時愛用していたSONYウォークマン(用水路で水没させ壊した)で、もっぱら奥華子を聞いていた。

 

広島の知人とはその後ひと悶着あり、かの人は『二度と会いたくない人ランキング』の上位にみごとランクインを果たし、その苦い思い出と奥華子のメロディーはわたしのなかですっかり結びついてしまった……ラジオなんかで聞いたりすると、思わず耳を塞ぎたくなるくらいには今でも苦手。

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ひとり旅デビュー

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高速バスの予約にもすっかり慣れた2回生の冬、『ひとり旅』を決意した。

 

当時なにをおもってそこへ至ったかは定かでない 。憶測でしかないが、おそらくわたしはひとりになりたかったーー見知った土地、見知ったひとの視線から自由になってみたかった。

 

心のうちを言語化する術にいまほど長けておらず、無意識下で醸造されるネガティブな感情、不安や憎しみといったものの対象から距離をとることで、どうにかしたかったのではないかとおもう。

 

この旅以降、数か月おきに発動する「遠くへ行きたい」という衝動は年々強くなっていく。わたしにとって旅とは、娯楽よりも治療にちかい代物だった。

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本に背中を押され

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ひとりで旅に出るーー慣れたいまとなってはなんてことはないのだが、当時の、まだ高知県でしか住まったことのないわたしにとっては大それた夢だった。自分で旅程を組んだこともなければ、ホテルをとったこともなかった。

 

興味をいだきつつも、若干のおそれに手をこまねいていたわたしの最後のハードルをぐんと下げてくれたのが、たかぎなおこ『ひとりたび1年生』だった。

エッセイ漫画という存在を知ったのは、この本が最初だったようにおもう。作者はねっからのひとり好きというわけではなく、ときにさみしがり、失敗しながら、自分なりの旅のおもしろさを見つけていくさまが微笑ましくおもしろかった。

 

大学生であれば仲間とともに西へ東へ遊びまわっていたのでは?とおもわれる方もいらっしゃるかもしれないが、わたしは華やかな大学生像とはかけ離れた生活をしていた。ひとりでご飯をつつくのを恥としていた可愛らしい時期ははやばやと去り、誰もわたしなぞに注目してはいないと気付いたのちは、だんだんとどうどうと『ひとり』を謳歌した。

 

それは、中学・高校と部活に勉強にと忙しかったわたしがはじめて手にした「自由な時間」でもあった(この時期にさぼることも覚えた)。ひとりで何をしていたかと言えばーー本を貪り読んでいた。

 

そして件の『ひとりたび1年生』に出会った。図書館に置いてあった同作者の本のすべてに目を通し、近くに置いてあったまっぷるに手を伸ばした。 

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二次元の旅

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幼少期にさかのぼれば、こんな本からもわたしは影響を受けている。

こげぱん―北海道ぶらり旅日記

こげぱん―北海道ぶらり旅日記

 

こげぱんの作者が北海道を巡る珍道中を情緒あふれるイラスト(なんと全編カラー!)でつづっている。絵本というにはなんとも贅沢な一品。

 

この本の持ち主は妹だったのだけれど、貸してもらっては隅から隅まで、何度も目を通した。出てくる食べもの食べもの美味しそうで、草原のイラストからは草いきれをかぎとれるような気さえした。

 

先日、久しぶりに実家の本棚から引っ張り出してみたのだが、要所要所で当時どんな感想を抱いたか鮮明に思い出して驚いた!しかもそれに負けず劣らず「おいしそう」「たのしそう」とワクワクさせられっぱなしだった。

 

情報は古びるが、感動は劣化しない。紙面に踊っているのは作者の心の躍動であり、それはこの先何年経とうと、ページをめくる読者を北海道の大地へ誘うだろう。

 

「旅とはとかくおもしろいものだ」

 

山と川に閉じこめられた場所で育った幼いわたしに、そんな素敵な刷り込みを与えてくれた大事な一冊である。

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へなちょこフリーター的・旅の三か条

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旅のさなかではいくつも失敗をした。バスに乗り遅れ、道にまよい、疲れ果てて動けなくなったり。少しずつ慣れて、荷造りもすっかりはやくなった。わたしがこころがかえていることを紹介する。

 

① 旅程は16時に切りあげるつもりで組む

名所はおさえるべきだし、せっかくだから展覧会にも行きたい、特産品はもちろん食べたいし、単館上映の映画だって見たい!…最初はそんな「せっかくおばけ」に取り憑かれていたわたしも、いろいろ試して分別もつき、欲張らない方がよいとわかってきた。

 

午前と午後で1か所ずつ。予定があればまわりたい場所をピックアップしておき、あとは当日の体調や天気と要相談、といった具合。

 

こうしておくと気兼ねなく寄り道ができるし、16時とおもっていてもなんやかんやで夜になる。

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② 腹が空いたらすぐ食べる

腹がすくと心に余裕がなくなる。

 

とくに誰かと連れだっている場合には、空腹にはよくよく気を配らなくてはならない。諍いのもとである。

 

そして「せっかくだから」と見逃したが最後、飲食店・コンビニさえなくなってしまったというのも旅先ではもっとも忌む状況のひとつである。あの心細さったらあない。

 

腹が空いたらコンビニだろうがチェーン店だろうが、すぐ入るようにしている。そしてもしも「せっかくだからおばけ」に踊らされたときのために、携帯食・水分を常備しておくと安心だ。

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③ 直観に従う

事前に決めておいた旅程を踏むのも楽しいが、のちのち振り返って味をかみしめるのは「偶然の寄り道」だったりする。

 

頭で理屈をこねたことはよく嘘をつくーー自分の考えでありながら、世間体というものをたぶんに含んでいる。

 

その点、直感・無意識はまぎれもなく『自分だけの経験則である。自分を喜ばせる、その一点に関しては決して間違わない。直観に信頼をおくようになってからというもの、充実した旅を楽しめるようになった。

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まとめ

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愛知は名古屋の大都会で暮らすうち、わたしの内に眠る、旅という名の獣はじょじょに鳴りをひそめていった。昨年など、夏に一度三重に出かけたくらいのもの。

 

「ここではないどこかへ行きたい」の " ここ " とは、 " 日常 " という漠然としたものではなく、高知県という片田舎、わたしが生まれてから1度も離れたことのなかった、山と川しかない " あの土地 " のこと、だったのだろう。

 

それが最近、獣がもぞもぞ寝返りをうっている。ときおり鳴いてもみせる。前とおなじに「遠くへ行きたい」と。名古屋に住まいだしてまる3年ーーようやく" ここ " へ深く根をはれたという印だろうか?

 

今年の夏は18切符をつかっての気ままな列車旅を計画している。それとは別に桃狩りにも行きたい(もぎたての桃は格別だそうなのである)。獣が深い眠りにおちるまで、わたしはふらふら旅しつづけるだろう。

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