へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

肌でたぐる辞書

春というやつは、大きな肉厚の手のひらで転がされるような心地がする。

漂う空気が、ひとの温度に似ているのだ。

梅雨の最中だとはいえ、水滴はたちまち親元へ帰り、からっと冴えた空気、それでいて冬はもちろん遥か彼方。凍える心配はないのです。

春と夏の間にぶら下がった心地が、こんなにもよいものだったなんて。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
春、わたしは浮かれていた。憂鬱をまといもしていて、寝苦しさは増す一方だった。

ペダルを漕ぐ時間に比例して、手足は色を変えてゆくのに、頰なんかは妙に白いまま、斑らになっていく身体。

携帯電話の壁紙を、指先をてててと走らせ変えるみたいに、肌も目も爪先まで、気分の色に染められたらいいのに。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
常識、というラインはきっと黄色の蛍光ペンで、真っ白な模造紙にひかれているに違いない。

刺激に弱いわたしの目にはよくわからないことばかりなのだ。

正しさにあてられて寝込んでいるうちに雨が降りはじめた。

日差しに、コンクリートに、行き場を失うほど拒絶されたとしても、冬の容赦なさに比べればおそるるに足らず。

きっと大丈夫とおもえるのは、夏には香りがあるからなのです。

そういえば、仕事に行く途中の交差点で生ごみのにおいを嗅いだとおもった。

あたたかいから、誰かの何かが腐ったとしても仕方がない。それに、すぐに還れるということはそんなに悪いことではなかろうし。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
花を見ていた。正確には萼片の色を。

 

大学で農学を専攻していた頃のなごりで、生物の名前はカタカナで表記せずにおれない。漢字で書こうものなら、腰のあたりが無性にムズムズしてかなわない。

しかし「あじさい」は、「アジサイ」よりも「紫陽花」の3文字にまとまったほうがそれらしく思える。

アジサイ」だと妙に角ばっていて、あのボヨン・ワサッとしたフォルムを頭に浮かべられないし、「あじさい」だと幼稚園の組み分けなんかで使われそうな、デフォルメされたイラストのイメージが強くなる。2次元に甘んじたまま、立体として立ち上がってこない。

儚い色味かとおもえば、血の滴るような赤に染まった株もある。時期を過ぎ、かわいた萼片と、水を蓄えた分厚い葉。れっきとした樹木として、立派で色鮮やかな花房をつけるあの植物をうまく思い描くには「紫陽花」でなくてはならない。そんな風に感じているのは、わたしだけでしょうか?

(とはいえ前回のブログ記事では " アジサイ " 表記なんですがね。どうしても気持ち悪いんだ)