へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

ぼくらは神さまになれない。それでも 、、、『名探偵コナン・ゼロの執行人』

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神さまになろうとしていた時期があった。

 

暴言を吐かれようが笑われようが、奥歯を噛み締めればなんとかなったし、自分自身にみじんこ程度の価値しか見出してなかったから、当然の報いだとおもえばなんだって耐えられた。そんなわたしにも、ひとつだけ耐えられないことがあって、それは他人を傷つけてしまうことだった。

 

他人の優位に立とうと、馬鹿にしたり笑ったり怒りをぶつけたり。そのどれもが衝動的。最低な行為だったと気づくのは1ヶ月も後だったりする。今度こそ真っさらに洗濯できた!そうおもって鏡の前に立ってみるけれど、背中にはべったりと黒いペンキでわたしの本性をさらす文字が躍る。

 

ペンキを落とそうとたらいに浸したシャツはいくらこすろうが黒いまま。水はいくらも濁っておらず、あかぎれて血の滲んだ手のひらを眺め、ようやく諦めをつけた。20代半ばだった。純粋無垢で万能な存在になりたかった。その願いを捨ててはじめてわたしの思春期は終わりを迎えた。

 

わたしたちは無意識に人を傷つけ、地に落ちそうな人をすくあげられない人間として生きていかねばならない。

 

『ゼロの執行人』に登場する降谷零という男は、そんな人間の業を自覚しながら、希望とも絶望ともつかぬ高みへと手を伸ばし続けている。

*ネタバレあり!

名探偵コナンからは長らく遠ざかっていた。通常回はまったく追えていない。人物設定など、多々間違っているとはおもいますがご容赦願いたい。

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名探偵コナン=殺人事件』と言ってもいいくらい、彼の少年の住まう米花町では連日連夜死人が出るのだが、今年の映画はこちらの予想を裏切る内容となっていた。

 

国際サミットの会場がその会期を待たずして爆破。その容疑者として眠りの小五郎こと毛利小五郎が逮捕されてしまう。事件に用いられたテクニックの難易度からして小五郎による犯行ではないとコナンらの主張むなしく、次々と証拠が出揃い、窮地に追い込まれてく。その背後に降谷零率いる公安警察が絡んでいると読むコナン「今回の安室(降谷)さんは敵かもしれない…」。複雑に錯綜する思惑に翻弄されながら、コナンは真相を追求していく。

 

冒頭の爆破事件にて警察関係者に死傷者は出るものの、具体的な誰かの命が狙われる描写はない。なぜサミット開催前に爆破が起こったのか?なぜ小五郎は犯人に仕立てあげられたのか?もちろんコナンは犯人を突き止めるべく血道をあげるが、本作品は「Who?」よりも「Why?」に主軸が置かれたストーリーと言えよう。二転三転する事件背景に惹きつけられずにいられない。

 

その中でもことさら「なぜ?」と問わずにはいられなかった人物・降谷零に、今回はせまってみたいと思う。

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公安警察に所属する降谷零は、他に2つの顔を持っている。

 

毛利小五郎の弟子・安室透、そして黒の組織のコードネーム・バーボン。どちらも潜入調査のために身分を偽った仮の姿である。彼が頭脳明晰・身体能力・人心掌握術に優れている万能超人だとしても、なぜそのようなことをこなしてみせるのか一見不思議でならないが、映画の後半における名台詞「ぼくの恋人はこの国」発言でもわかるよう、彼の言動と「日本を守る」という壮大な目的は切っても切れないようである。

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電話ボックスにて降谷零として部下と連絡をとるシーンがある。双方がすべての報告を終えたとき、画面左手から朝日が昇り、黒から白へと世界は一変する。

 

印象的な光の演出として、小五郎を弁護することになった橘が初めて本音を剥き出しにするシーンも取り上げておきたい。元恋人の過去を暴かれた彼女は妃弁護士らに対して激昂するが、ビル間からの光を顔に受けて冷静さを取り戻すのだ。そして、彼女がクライマックスにおいて、警察からの譲歩を鬼気迫る表情ではねのけるのもまた、夜なのである。

 

降谷と橘、「目的のために己を偽っている」という点ではあながち遠くない存在ではないかとおもう。

 

人々が自由に振舞う昼間において彼らは本音を吐露することができない立場にある。劇中、降谷は文字通り命をかけて大勢の命を救うのだか、存在を抹消している彼の業績が報じられることはなく、太陽から隠れるように影の中に姿をくらませるのであろう。

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「なぜ小五郎を巻き込んだのか」というコナンの問いに「君は身内のためなら必死に調査するだろ」と答える降谷。立場上、表立って協力を依頼できない ( 加えて相手は小学生 ) とは言え、このシーンはなんとも切ない。

 

降谷が助けを請えば助けてくれる人はきっと存在する。コナンもそうだろう。けれど彼は助けを請うという選択肢でなく、「相手の力を最大限に引き出す」方を選ぶ。刹那的な問題解決の前進ではなく、問題が確実に解けるアプローチを常に模索しているのだろう。

日本に住まう人々が半永久的に無事であればいい。それが彼の言う『平和』であろうし、目的をとげられるのであれば、不審の目を向けられようと、嫌われようと彼は弁明なぞしないんだろう。

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正論は『発言者を正しくする理屈』であることが多いようにおもう。「正しくあれば好かれる・ひとりにならずに済む」からだ。この世界は独り者に厳しいが、それは裏を返せば皆寂しいということ。

 

では、降谷の行う正義とは何を正しているのだろう。彼にとって正しいこととは『日本の平和』である。日本を正しくするために戦う。

 

正しさとは時と場合によって、観察者の立場によって容易く移ろい、確固たる正しさ・正義なんてものは砂漠で出会う蜃気楼のように儚い。常に正しい人間なぞ不可能で、『発言者を正しくする理屈』である正論が時に反感を買うのも道理である。

 

おそらく降谷は正しい結果を導くためなら、己の正しさなぞ必要としない。そういう意味で、誰より正義であろうとする彼が正論を使うことはないんだろう。正しさの曖昧さを理解し、自分の求める正しさが時に間違いになることも理解した上で、それでも彼は『日本の平和』を求めずにいられない。

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そんな清濁併せもつ彼の気高さに視聴者は惹きつけられてやまないのであるが、「大義のためなら正しいと言われずともかまわない」という信念はしかし、身近な人を傷つけはしないだろうか?

 

親しい人間がはたから非難される様子を黙っていられるほど、人間は強い造りをしているだろうか?

 

日本の平和を願うということ。それは「多くのひとの平穏無事な日常を守りたい」と言い換えることができる。多くのひとの幸せの礎を支えようと奮闘している降谷零。おそらく、彼は他人の不幸から目を背けることができない。彼が身近なひとの幸福を願うとき、『共にあること』よりも『距離を置くこと』を選びとるような気がしてならない(杞憂であってほしい)。

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前半にも記述した通り、降谷は頭脳明晰・身体能力ともに抜群。それらは努力の賜物という見方もできるが、持って生まれた性質によるところも大きいだろう。仮に警察を辞したとしても、大抵の生き方は選び放題で、そのどれをもそつなくこなしてしまうことは想像に難くない。

 

健全に生きるために、わたしたち人間はある程度の『不可能』を必要としている。乗り越えるべき壁がなければ、なんのために生きているのか?などと、答えのない問いに身をやつすことになる。

 

なんでもできる降谷零にとっては、無理難題ともおもえる「国を守る」というミッションはちょうどいい難易度なのかもしれないと、クライマックスのカーアクションの様子を見るにつけ考えずにはいられない。彼、明らかにわくわくしてしまっているじゃないか。ド派手なアクションシーンは劇場版コナンの見どころのひとつであるが、問題に立ち向かうコナン少年から、あのような高揚感を見て取ったことは未だかつてない。

 

人並みに穏やかな生活を送っていた元 CIA の腕利きエージェントが、ひょんなことから現場に戻ってきてしまう映画『 RED 』のように、一度現場を離れたとしても、きっと降谷零は不可能という刺激を求めて渦中に舞い戻ってくるに違いない。可能性0パーセントに立ち向かう仕事=公安警察は、彼が生きるために見出した唯一の道なのかもしれない。

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できる人間は、正しくありたい人間から疎まれがちだ。また、壮大な夢の探求者は周囲から笑いものにされるってのも世の常。「国を守る」なんて「ヒーローになる」と言っているのと大して変わらない。時には冷徹な態度を示す降谷が、そこら辺の一般人よりも純真無垢とは面白い。

 

もしも彼が国を守ることを心に決めたのが幼少期であったなら、環境によっては馬鹿にされ、価値観の異なる周囲との折り合いにかられて自然と人心掌握術を身につけていったのやも、なんて空想すると楽しくなってくる。

 

蘭の安全を気にかけるコナンに対し「愛は偉大だな」と声をかけていることからもわかる通り、彼はコナンの行動原理を正しく読み取ったうえで調査に巻き込んでいるのだ。他人の行動原理・生きる目的を把握することに長けているのだろう。相手の目的を阻害せず、むしろ叶えてやりながら利用するのだとしたら、降谷零、おそろしい男である。

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降谷零が守っているものとは『日本の未来』なのであろう。

 

いっとき傷ついたとしても立ち直る強さ、谷底にやがて陽が差すことを知っていなければ決してできない。ひとつひとつの事件が解決を迎えても、彼が「国を救った」と実感することはないだろう。すべては移ろうこの世において、完全なる平和などあり得ないのだから。

 

彼が挑むのは果てのない戦いである。時に負けても、最後は必ず白に転じてみせる。その凄みに否応なく、人は惹かれてしまうのではなかろうか。

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名探偵コナンとは『不可能を可能にするストーリー』だ。


主役のコナンは実年齢にせよまだ10代。すべての勢いの理由に若さをもってきたくなるが、降谷零は立派なアラサー。しかし彼も諦めるということを知らない。

 

不可能をゼロにできる可能性は0%。だから彼らは命を懸ける。あの世界の人物たちは、どうやら戦い続ける宿命にあるようだ。