へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

松潤と謙虚と嫌悪

松潤が夢に出てきた。

 

 

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イケメンで仕事ができて性格もよし。国民的アイドル。そんな彼はわたしにとって「どんなにあがいても勝てない人種」である。まあ、松潤とまではいかない普通の人にも勝てっこないと常日頃からおもっている。これはひとつの処世術とも言える考え方だ。

 

不敵に笑う松潤はあるものを手渡してきた。それは薄桃色のAラインのワンピース。椿の花弁に似たしっとり肌に吸いつく手触りをした生地はずっしりと重い。「はやく着ろ着ろ」と彼がうるさいのでしぶしぶ袖を通したが、鏡に映る自分の姿を見て、がっくりうなだれる。そういえば、裾の広がるAラインはわたしの体系に似合わんのだった…まるで臨月の妊婦みたいになるのである。

 

その後も松潤は「料理をしてみせろ」「このソースの材料を当てろ」としつこく絡んでくる。顔面偏差値であがなえないあつかましさに辟易する。嫌でたまらないって気配を全身から発しているつもりなんだが、彼の空気読みアンテナはとっくの昔に廃業しているとみえる。夢の突飛な設定なので具体的な関係はわからんのだけど、松潤はわたしの先輩であたる。黙って嵐がすぎるのを待つしかなかった。

 

 

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「あなたのため」って考え、正しくは「あなたのための行動をする自分を愛するため」って意味だとおもってる。その " あなた " はなにも " わたし " じゃなくてもよかった。

 

わたしはどうやらこれまで他人に舐められてきたらしい。今回の夢に現れたあつかま松潤のような「良い反応しろよ」っていう理不尽な " やさしさ " を、ありがたいことにたくさんたくさん頂いてきた。

 

立場が上の人間に命令をする人間はいないだろう。大抵の人間から受ける「自分より下」だいう判断。わたしにとってそれは「日常」と名づけてもいいくらい当たり前な現象で、いつからかはわからんが、自主的に他人を自分より上等な棚にのせ「あなた様にはかないませぬ」と頭を垂れて生きてきた。

 

 

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人間関係の底辺に自分を置くと、困ったことに、他人を嫌えなくなる。

 

嫌悪というのは見下すことでもある。なんでもかんでも「自分のせいだ」と考えるためには「集団の中で最も劣っている存在=自分」という大前提が不可欠だ。他人を神聖視し、彼・彼女らが間違いを犯す可能性を微塵も考慮しない。

 

他の人だとそこまでではないのに、この人から注意を受けるとしばらく気分が悪くなる、という存在がわたしの周りにひとり居る。彼に抱く感情が「嫌悪」なのだと気付くまでには、随分と時間がかかった。

 

取るに足らない人間である自分が、正論をふるう年上の男性を嫌うわけにはいかなかった。行き場のない、どろどろと粘土の高いその感情は内へ内へ、嫌悪を光の届かない内臓の奥に仕舞いこんでいる間は " いいひと " でいることができた。

 

「わたしはこいつが心底嫌いだ」目の前の男に対する感情を正しく定義し直すと、尾を引いていた気分の悪さは嘘のように引いていった。

 

 

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心屋仁之助『一生お金に困らない生き方』という本の中に「母親にクソババアと言いなさい(心の中で)」という項目があった。おそらくこれは「嫌悪を正しい対象へ向ける練習」だったのだとおもう。

 

「自分が嫌い」って感覚はバグみたいなもんで、自分自身を好いてる状態が本来の人間だとおもってる。

 

おそらくひとは「どうしても合わない人間」に囲まれて育つと他人を嫌えなくなる。無力な子供が他人へ嫌悪を向けていてはうまく生きていけないからだ。感情というシステムは頑丈にできていて、忘れることはできても、この世から完全になくせはしない。辻褄を合わせるため、嫌悪する対象を「相手」から「自分」に設定し、感情の質量は一定に保たれる。

 

 

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嫌悪は他人に向けるべきものだ。それに人を嫌うことと、その人を大事に思うことは矛盾しない。

 

心の健康のためには皆さんもっと大いに気軽に他人を嫌うべきで、見下して、ののしって、ぼこぼこにしよう。ただし、本人に気づかれない場所で、だ。距離さえとればひとを嫌ったって、何も問題は起きないのである。

 

自由に他人との距離を設定することがむずかしいぶん、子どもはかわいそうだ。自己嫌悪は子どもにできる精一杯の自己防衛。でも、大人であれば、物理的・精神的に他人と距離をとることは比較的容易となる。

 

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松潤、上司、親に総理大臣、自分よりスペックが高い人間、聖人君子 etc.

わたしにはその誰をも嫌う権利がある。これからはどんどん人を嫌おうとおもう。健康になろうとおもう。暗闇でうぞうぞしている矛盾たちの感触こそが、なんでもなく普通の人間であることの証拠なのだから。