へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

「幸せだ」と声にすることは、なんでこんなに怖いんだろう?

幸運にも楽しい毎日を送っている。

 

選択肢の連なりがたまたまここに通じていた、というだけのこと。いつだって現実は予想を裏切ってくる。

 

 

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いまの仕事をわたしはたぶん好いている。

そんなこと、これまで頭の隅をよぎりもしなかったけれど。

 

レストランの厨房、とはいえ魚を捌いたり、揚げ物をするでもない、簡単な作業の連続だ。

 

大型連休なんか、あれを仕込んで次はあっちでと忙しく頭を動かしてないと色々追っついてかないし、大根の詰まった段ボールは「ふんっ!」と腹に気合を入れねば持ち上がらん。作業をしながら会話をする能力に乏しいから、周囲と特別仲良くなれもしない。

 

できれば休みたいし、怠けたいし、時給あげて欲しいし、もっと待遇良くしてほしい、重いもの持ちたくない、人間関係めんどくさい、週末しんどすぎ、働きたくない働きたくない働きたくない!けど…好き、なんだよなー。

 

 

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今の生活、けっこう気に入っている。

 

収入源であるアルバイトに使ってる時間は睡眠に次いで長い。もしもこれを心底嫌っていたとしたら、「気に入ってる」じゃなくてもっとネガティブな言葉になるはずで。

 

「好きな仕事」に出会えたら、きっと人生は劇的に好転する。真っ白でキラキラしてて、苦しみなんてないんだとおもっていた。

 

苦しくて、腹が立って、疲れるし、めんどいし、だけど、達成感は病みつきで、お金もらえるの嬉しいし、優しくしてくれるひとがいて、まかない美味しいし、こっそり鼻歌うたいながら皿洗ったりすることもあって、「楽しくない」って言ったらそれは嘘になる。

 

「苦しくても頑張ろうとおもえる仕事に就きたい」中学生の頃言ってたっけな。多少苦しくてもいいから好きなことをしたいっておもってた。苦しみを受け取る覚悟のあった幼いわたし、よっぽど大人だった。

 

文章も絵もブログも仕事も心底楽しくなくていい。苦しくてやめたくて、でもやめられない。未練に見栄とか怒りとか、そういうのでぐちゃぐちゃになるのは、それが " 日常 " だから。

 

 

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幸せだと発表することは、なぜこんなにも怖いのだろう?

 

好きな仕事をしていて、よく眠り、運動し遊んで本を読んでブログアップして、幸せであるほど、罪悪感で口は縫いつけられていく。

 

不幸でなくちゃコミュニケーションできないんだろうか?

 

雑談が苦手なんだけれど、ぽろっと溢れる言葉って大概ネガティブなもので、わたしはそれに対する感想を持ち合わせてないから反応が遅れるし、なんと返せばいいやらあとから考えてたってわからない。

 

 

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「大丈夫?」って問いかけにも合理性を見出せなくて、戸惑う。

 

だって大抵のことは大丈夫だ。包丁でちょっと指を切ったくらいなら、命に別状はないんだから「大丈夫?」って聞く意味が全然わからない。しかしこれはどうやら「おはよう」くらい重要なやりとりっぽいとわかってきたので、良好な人間関係のためには使えるようになった方がよいっぽい。

 

 

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苦しくても頑張ろうとおもえる仕事、苦しくても頑張ろうとおもえる生活。

 

夢はいつだって知らない間に叶ってる。劇的な変化なんてのは、フィクションのなかだけなのだろう。

 

日常のなかに夢の欠片を探そう。欲しかったものはもう手に入って、当たり前の箱のなかで窓から差し込む光をひっそりと反射しているのかもしれない。