へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

このさみしさで死にはしないけれど、無視したらダメっぽいってことは、もうわかるよ。

 

6マスすすんで 3かいやすみ ふりだしにもどる、ふたたびサイコロをふる。

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実家に置いてた所持品を、このたび我がワンルームへ運び入れた。実家にはダンボール1つを残すのみとなった

 

ほぼ本。重い。これまでまめに処分してきた分は、少なくとも今と同量か、もしくはそれ以上あったんじゃないかと思う……いったいわたしは書籍にいくらつぎ込んできたのやら。

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所持品をすべてあわせると、ダンボール10箱くらいになる。

 

もしも私が急死しても、ほぼ本だから箱につめて出張買取してもらえれば楽ちんだ。布団と自転車と椅子がちょっと厄介かもしれないが、まあ、粗大ごみかリサイクルセンターに持ってけばなんとかなるだろう。

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部屋に生活感を取りいれようと、好きなもの飾るスペース作ったり、カーテンで仕切ってみたりしている。

 

帰省した際、空間づくりにTVが役立つと気づいた。購入を検討している。もしくはオンデマンドを契約しようかとおもってる。

 

ラジオは純粋に音声・情報だから一次元的だ。TVはスタジオや野外であらゆる位置の音をとらえるから三次元的で、音声を聞いてるだけでほっとする。ひとりじゃない気がするーーわたし、どうやらさみしいらしい。いち視聴者として意識されている、それだけで癒せるほどのさみしさ。

 

これは恋人をつくって解消するとかそんな大げさなことでなく、腹へった・ねむいくらい普通な生理現象に似ている。このさみしさで死にはしないけれど、無視したらダメっぽいってことは、もうわかるよ。

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 " さみしい " という感情を思い出したのは、去年の春のことだった。

 

読書やネットサーフィンで " 何か " から目を逸らしている自分に気づいたのがきっかけだったーーその " 何か " は例えば体調不良。

 

インプットに集中していれば、痛みやしんどさを忘れていられる。しんどければしんどいほど、インプットをやめられない、やめるわけにはいけなかった。休息時間は当然削られ、ますます刺激を手放せなくなる悪循環におちいった。

 

体調不良を自覚したものの、腹の奥のほうではまだ " 何か " が疼いていた。みてはいけないーー警告を無視してのぞいてみると、そこには長年なかったことにされてきた " さみしさ " があった。

 

ひとりでも大丈夫な強い人間じゃあなくって、さみしさをなかったことにしないと耐えられなかった、かわいそうなやつだった。

 

……そんなわけで、わたしと " さみしさ " との付き合いはまだ1年足らずなのです。

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感情をひとつひとつ取り戻していく作業は生まれ直しにも似ている。理不尽に泣き、感情の渦に戸惑い、もろもろ落ち着くと気恥ずかしくなるーー元々あったものを自分で捨てといて、取り戻して喜んでるってなんなんや……。

 

怒りも苦しいも寂しいも、絶対あった方が生活しやすい。ぜんぶ必要だから搭載されてるはずなんだ。