へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

叶えるとかはおまけみたいなもので

 

ほめても しかっても ダメなんだから、だいじょうぶだよ。

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相談をもちかけられたーーいくつかアドバイスをしてみたものの、その人は最後まで浮かない顔をしていた。

 

もっとできることがあったんじゃないか。ふと思い出しては、つらつら頭を巡らして、もう数日になる。

 

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「相談者の期待に応えるのが、相談されたひとの役目だよね。" いけ " って言ってほしいんだなーって思ったら " いけ " 、" いくな " って言ってほしいんだなーって思ったら " いくな " 。それだけのことじゃない?」

 

な、なるほどーー思わず相づちをうったのは、FMラジオドラマ『あ、安部礼司』の一コマだった。

 

そうだよな。相談するときって背中押してほしいときだ。自分のどこかに答えはすでにあって、「それは間違ってない」と第三者から太鼓判押してもらいたいだけなのだ。

 

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相談されて、わたしの頭を占めていたのは「答えをみつけてあげなくちゃ」だった。新しい案を渡せばいいんだとおもってた。

 

今ならわかる。あの人は、シンプルに肯定されたかったんだーー。

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「肯定してよ!」とは頼みにくく、相談って形に擬態させたりみなさんはしませんか?--わたしはしてた!過去形なのは、相談擬態は不毛だと気づいたからだ(ついやっちゃうことはある)。

 

「褒めてよ!」「認めてよ!」って言った方がはやいし、なんならセルフ肯定が1番はやくて効果的だ。ひとの話を聞いてて「こりゃあ肯定されたいんやな」って気づいたときには「今度からはそう注文してね」と頼んだりもする。

 

相談する側にたてば、背中を押してほしいだけってわかるのに、される側にまわった途端、意見量産マシーンと化すのなんででしょね……安寧の地に連れていってあげなくては!という使命感でなにもみえなくなる……。

 

「みんなもあなたと同じなんだから我慢しなよ」って言われてつらくなった経験があるが、「いち早く問題を消してあげなくては!」って心理がはたらいての発言なのかも(そうだといいな)。

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相手には茨の道をあゆむ権利がある。

 

「すぐに楽にしてあげたい」をやさしさとは呼ばない。他人の不幸をみてられない己の弱さを美化しちゃいかんだろう?

 

人間は自分で決めたことなら苦しくても大丈夫。他人の苦しいにも大丈夫って言って大丈夫。

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自己顕示欲がつよく、相手の期待にこたえるってのがどうも苦手だ。相談とかプレゼントとか。

 

上下関係をつくろうとする癖はモラハラの後遺症でもあるんだろう。癖の存在を自覚できるようにはなってきたーーそのうち改善できると信じたい。

 

どうしたいの?どうしてほしいの?どんなきもち?

 

叶えるとかはおまけみたいなもので、言葉にならない・できない部分に目をむけるだけで、ほんとはきっと十分なんだろな。