へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

NO MORE ゾンビ!〜モラハラ・パワハラの話〜 その2

 

前回のつづき。



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モラハラパワハラの加害者は、理不尽を「お前のため」という美しいオブラートで包むことにかけては職人の域に達しています。天才です。



そして被害者はオブラートの薄い部分に見え隠れする理不尽を「なかったことにする」技術が半端なく高い
あれはもしや理不尽なんじゃ…と感じたらすぐにオブラートに焦点を合わす。やっぱり「私のために」やってくれてるんだー!と美しさを確認して関係を維持します。
(だからって被害者にも責任が〜ってのは見当違いですがね)。

 


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被害にあってると「嫌われてるからこんな扱いされるんだ」って、仲を深めようともするんですが、それもたぶん違くて。

 

モラハラパワハラは親密だからされるし、関係が深まるほど悪化するケースが多いと聞きます。

 

被害にあっていない第三者に対して、加害者が見せる優しさや笑顔はようはお客さま対応。つまり加害者から見て、被害者は身内、第三者は他人(加害者本人は区別を自覚してはないと思いますが)。

 

他人から身内になる努力はできても、逆に懐から抜けだすとなるとなかなか難しい。そこら辺もモラハラパワハラの問題を根深くしている気がする…。

 


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特にパワハラの場合、加害者・被害者・第三者(観察者)の立体構図によって成り立っていて、デートDVなど閉じた関係性で行われるモラハラであっても、加害者の無意識には外の他人を意識してる部分が少なからずあると思います。

 

「あいつには困らされてるんです」

「僕・私が居てやらないとダメなんです」

 

そうやって第三者に言い訳でもしてないと、自分の行動を正当化できず、加害のストレスに耐えきれないんじゃないでしょうか。

 

自尊心を保つために言葉の暴力というひとつの手段を選びとったのであって、悪人になりたいわけではないのだから。

 


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モラハラ自傷ならぬ他傷依存症とでも言うべきものだと思います。生きるために、生きる苦痛を紛らわすべく、他人の心を傷つける

 

アルコールで辛さを忘れることも、常習となり、日常生活に支障をきたせば問題と呼ばれます。モラハラは他人を巻き込んでる時点で問題やし、アルコールよりたち悪い。しかも加害者だって傷ついてるはずなんですよね。


他傷はあくまで気休め、過去の心の痛みを忘れさせてくれるだけで、加害者の自尊心が高まるわけではないのだから。

 

加害者は他人を傷つけるよりもすることがある。自分の傷の手当てです。

 

暴力の正体とは「ここが痛いよ!気づいてよ!はやくどうにかしてよ!」って無意識の叫びなんやと思います。それを言葉にしろ態度にしろ拳にしろ、他人に向けるから話がややこしくなる…自分で書いてて耳が痛い(笑)

 


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寂しい、悲しい、苦しい、痛い。

 

そういうのをもつのは弱い人間だ、淘汰されてしまうって恐怖がどっかにあるからみんなない事にしがちで、そのうちなんも感じんようになって、限界に達した痛みは無意識のうちに叫びはじめる。なんも感じんから、どんなに被害にあっても逃げ出せないし。

 

普段から痛い痛いって泣ける人は、モラハラの被害にも加害にも縁遠いんじゃないかな?

 

痛みがわからんようになった人が被害に合いやすいし、痛みが致死量に達すると加害者になる。根っこはおんなじだから、区別して考えん方がいい気がします。

 

傷ついても動けるゾンビが重宝されるシステムのもと、モラハラパワハラは横行する。ゾンビ反対!

 

 

 

 

 

もっと人間しよう。痛みを感じて泣きましょうや。

 

怠けよう、サボろう、自分第一、守って生きよう。