へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

個性とファッションの統一感を、人は「おしゃれ」と呼んでいる。

 

ここ最近おなじ話ばかりだけども気にせず書く。

 

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ファッションは、色に似ている。

 

双子にだって個性はあるように、1ミリのずれもなく趣味嗜好が一致する、なんてことはまずもってない。

 

うぐいす色、若草色、浅葱色、モスグリーン、エメラルドグリーンーー全部 " 緑色 " だけど、全部違ってる。

 

黄色の個性の人は、赤より黄色の衣類を選ぶとより自然に見えるだろう(この場合の黄色はものの例えなのでオーラカラーとか肌にあう色とかのは別)。

 

究極、服装がダサかろうが、似合ってなかろうがかまわない。内面と外見はちぐはぐしてない方がいい気がする。これまたややこしいのだけど、ちぐはぐしてないとは言え「厳つい顔だけど可愛いものを着たい」気持ちを否定するわけでもない。

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話はちょっと変わるのですが、『本当の自分』って一体何者なんでしょうね?

 

良かれと思ってやったことが裏目にでた場合、その人は善人なのか悪人なのか?

 

ネガティブだけどポジティブになろうとしてるひとは、明るい人?それとも暗い人?

 

私は『願望』を判断基準にすることにした。「〜になりたい」って欲求の中にしか、純粋な自分ってないと思うのです。

 

言葉や行動に現れた時点で、それらは評価対象になってしまう。自分を含む観察者の脳内で千差万別の価値を与えられ、記憶はだんだん曖昧になっていく。擦り減っていくばかりだったから、そこに『本当の自分』を見出すのはやめようと先月あたりに、決めた。

 

人間性に触れられる部分って「どんな人間になりたいか」そこだけな気がしてる。

 

実績だけで判断するなら、一度でも罪を犯した人は一生悪人ってことになる。法には触れてないにしても、私は過去に何度も過ちを犯していて、それは自己肯定できない理由のひとつでもあった。けれど「償いたい」って気持ちを、私ってことにしてもいいかなって……。

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人間不振気味、人前で感情を出せない、時々死にたくなるし、捨てる前提でしか物を買えない、インテリア・ファッションに個性が反映されてないーーこれらを「全部ひっくり返したいと思ってる」のが本当の私ってことにした。

 

体のパーツに合うかどうかはファッションの一観点ではあっても、唯一解ではないのだと思う。「着たい」と思ってるものなら、パーツに合ってなくともなんか知らんが勝手に似合うんじゃないか?「あなたらしいね」って言ってもらえる気がしてる。

 

個性とファッションの統一感を、人は「おしゃれ」と呼ぶんじゃないか?

(多くの人には当たり前の認識なのやも。私としては世紀の大発見にも匹敵する)

 

私みたいに他人の趣味を無意識トレースしちゃってると「着たい」って思ってるものが自分の個性からズレてるんで、そこは厄介ですがね……私ほどひどくはなくとも、「女はこれを着るべき」「モテるにはあれ」って風な一般論を自分の好みって誤認識してる人は少なくないのでは?

 

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30年近く生きて(生きたからこそ?)、己の服の趣味さえわからない。

 

似合う似合わない考えてたら、私の場合なんも始まらん……着たいか着たくないか、着たいと言ってるのは本当に自分なのか?ーーめんどくせーめんどくせーめんどくせー。

 

多少体型に合わずとも着れればいいって考えで、持ち服に合わせて我慢してた部分多々あると気がついた……道具に使われてどうする。

 

体に入れるものに遣う気を、触れるものにも今度からまわそう。衣食住のどれもこれもに自信ねー。