へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

みんなの「結婚したい」「子どもがほしい」という気持ちと、私の「猫と暮らしたい」って気持ちは、たぶん、おんなじ意味合いだ。

 

前回の記事において、

長年見聞きしてきたものがモラハラ・DVであり、怖い人に惹かれる症状がトラウマティック・ボンディングと判明したわけですが。

 

私が一番ショックだったのは「モラハラの被害者にもなりきれなかった自分の立ち位置」でした。

 

 

 

父がモラハラを行う対象は祖母であり、子どもである私や妹、母を表だって否定することはありませんでした。他人行儀とも言える接し方で、父は私を「さん付け」で呼びます。

 

唯一、父が祖母以外にモラハラ的態度を向けるのは家族そろっての外出時でした。父が不機嫌にならずに終えた外食は、記憶にある限り、一度としてありません。

 

DVの加害者は " 特定の人にのみ " 暴力を振るいます。自分より弱いまたは抵抗のできない人物を選び、関係性が親密になるほど悪化するケースが多いそうです。

 

つまり、父と祖母はある意味で親密な関係と言えます。そしてその関係性は、「妻と子供という第三者」が居てこそ成り立っているのだと思われます。

父のアイデンティティは「父親である」という自負によって支えられているため、妻と子供を否定するわけにはいかなかったのではないか。

 

そんでです。外出するとなぜモラハラの脅威が私たちにも及ぶのか?

 

それは「家族以外の第三者の目が発生するから」。

 

父の身内の範囲が「祖母のみ」から、「祖母と妻と子供」に広がるのだと思われます。「いい父親だね」と評価を下すのは見ず知らずの他人なので、妻と子どもに気を遣う必要はなくなるわけです。彼はやっと家族みんなの前で「素」になれる。

 

「理想の父親」として振る舞いたいのに、渋滞であったり、店が混んでいたり、家族が体調を崩したり…そういう邪魔が入った時に彼は不機嫌になるのでしょう。だってアイデンティティ、生死に関わる問題なのですから。

 

私と父は家族そろっての外出時のみ、第三者の目がある場所でのみ「家族」になれる。実家の屋根の下では、私は父にとって「よその人」「世間の目」だった。

 

 

 

DV加害者は仕事場などでは人当たりがよい場合も少なくなく、被害者が訴えたところで「あの人がそんなことしないでしょ」と信じてもらえない場合もあると聞きます。

そりゃあどこでもかれでも暴力を振るってたら社会的に排除されるわけで、私はその損得勘定の元、モラハラの被害者にはならなかった。父と親密な関係性を結べなかった。

 

ほいで、父だけでなく母と祖母との関係もやっぱり私は「よその人」で。モラハラを受けたかったとは言わない。けれど、「よその人」にするように気を遣われる関係性は「優しい」とはちょっと違うと思うのだよね。良くも悪くも、私は彼らの「素」を見ずに育ってきた。

 

私の前で気を許してくれたのは、妹と愛猫で、本当の意味で私にとっての家族はその2人。妹が実家を出て、今年の2月にじいちゃん猫が死んだとき、「あの家に帰る理由がなくなってしまった」と感じたのは必然だったのだと思う。

 

絆みたいなもの、健全な関係性を私はじいちゃん猫から教わった。

みんなの「結婚したい」「子どもがほしい」という気持ちと、私の「猫と暮らしたい」って気持ちは、たぶん、おんなじ意味合いだ。

 

家族だと思ってたものがどうやらそうではなかったらしい、というのはなかなかにショックで、我が家にDVが存在していたことよりも受け入れ難く、布団の中で泣いた。

家族への不信感・嫌悪感を自覚して数年経つし、そういう " よくない感情 " の所持を自分に許してもいたので、次の日にはけろりと開き直れましたが…そういう段階を踏んでなかったら一晩では立ち直れなかっただろうなー。