へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

体は動かすもの~ルールをほどけば、がんばらんでよい

 

カラオケアプリなる存在を得て、ますます磨きのかかる引きこもり生活。

 

難なく高音を出せるようになった。舌の付け根を下げて、音を頭の上に出しながら、下の前歯付近で発音するイメージ。喉への負担ゼロ。何遍でも歌える!

 

力を抜きながら思い通りの音を出す、という初めての体験は瞑想にも似て、歌詞を発音しつつも意識は半覚醒。

 

クレヨンしんちゃんの劇場版で、読心術のできる敵への対策として、歌いながら戦えばいいんだ!ってなる場面があった。歌って無になるのはわからんでもないけど、そしたら体を動かすのは無理では?ーー長年疑問だったけれど、まどろみつつ歌詞追えたんだから、たぶんできるな。歌の節に合わせて体を動かせば、無意識に近い状態での行動も不可能ではない気がします。

 

 

自分の喉から出したいと思った音を出せる、これは歌のうまさに紐付いた喜びとは、また別ではないかな。補助輪なしで自転車に乗れたってのが近いかな。

 

体は魂にもっとも近い外界であって、私の一部ではやっぱりないのだなあ。

 

気分が沈んだら体を動かそうってのも、医科学的になんちゃらって理屈もあるんでしょうが、例え関節1つであっても自由にできるっていう実感は、生きる上でけっこう大切だ。

 

ダイエットが流行るのも、痩せるってご褒美はもちろんのこと、体のサイズを自在に操るって点に原初的な魅力を感じる人が多いからではないでしょか?反対に太ることでも自分の意思と体の変化の関連は垣間見れるので、わざわざしんどい思いしてまで同じ結果を求めようとはしない=ダイエット失敗ってこともあるのかもしれない。

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坊さんは修行時代にあらゆる娯楽を禁止されるので体で遊ぶんだと本で読んだ。坐禅や読経もその一部だと。

 

体がままなる、というのはほんとは凄いことで、子どもが走りまわるのは『それ』がわかるから、なんだろう。年月を重ねるほどよく固まった体をほぐす作業は、赤子が歩く喜びを知るのと大差ないのかもしれない。

 

運動習慣づくりは5週目に突入した。腹は相変わらずぽっこりしてるが、毎日の楽しみが増えて嬉しい限り。年の暮れにひょんなことから趣味が増えるとは思わなんだ。

 

明日もがんばらぬ〜