へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

疑ぐりは処世術、気遣いは攻撃という名の防御。

 

明らかに怒っている人物に「怒っているか」と問い、「怒っていない」と返される。これほど不毛なものも他にない。

 

父はそういう性質のひとだったし、教師に同僚、上司に年下、ただの知り合い ーー老若男女問わず何人もの " そういうひと " を知っている。

 

相手にする必要はないんだと今は、わかる。自分のせいで怒っているんだと長らく思ってきた。ひたすら謝って、大抵状況は悪化して、真の原因を突き止めようと頭をつかった。まあ考えたとこでわかんないんだけど。

 

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出先で具合を悪くすることが多い。同行者がいると気を張りすぎるきらいがある。

 

ナイフを喉元に突きつけられるとする。足手まといになるなと言う犯人。死にたくないから当然従順になる。粗相をせぬよう足運び・息遣い・言葉選びのすべてに神経を研ぎ澄ます。そのうち過度な緊張で頭が働かなくなる、体が思うように動かない。ますます高まる緊張、私は殺されてしまうのか!?……そういう状態に似ています、同行者がいるときに体調を崩したときのわたしの内面。

 

実際目の前にいるひとが優しいかどうかは全く関係がない。行動をともにする人間のすべてが、ナイフを秘めているように感じる。他人の気分を害すリスクは、ナイフを突きつけられる状況に等しい。

 

万が一にも同行者の気分を害すことのないよう細心の注意を払い、そのために体調を崩し、それが原因で同行者がイラだつのを恐れてる。

 

時間が経てば体調は治る、怖くない。その反面、「お前のせいで気分を害した」と言外に伝えられるプレッシャーは、時間が経てば経つほど増大する。

 

ふたつを天秤にかけて、私は後者を重視する。死にそうな思いをするくらいなら、ちょっとの頭痛や吐き気を耐えるくらいどうってことない。迷わず我慢を選ぶし、絶対に体調不良を悟られたくない。

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言葉をそのまま受け取ってもうまくいかないことが多かった。安易に勘ぐったぐらいでは相手の望む答えにはたどり着かなかった。あらゆるパターンを読むし、コミュニケーションにおいて楽観視はしない。正解だと思うことがほとんどない。

 

優しいひとは隠すのがうまいんだなと思う。信じてふいに刺されるリスクより、ありもしないナイフを避ける安心を私は選ぶ。

 

目の前のひとはきっと単純に優しい。言葉や心配顔を素直に受け取ればいいだけの話で、怖かったのも傷ついたのも過去のことーー助けを乞えないのは、我慢してしまうのは、現実がみえてないからなのだ。

 

純粋な優しさは、わたしのなかでは都市伝説みたいな位置づけです。これだけしてやったんだから金払えと言われる方がまだ現実味がある。ふいに立ち現れるファンタジーを前に、立ち尽くす以外の反応が、うまく、できない。

 

原因らしきものが今回わかった。いつかは改善するんじゃなかろうか?ーーそうであって欲しい。