へなちょこフリーター日記

おもしろおかしく生きてきたいね

わたしはひとをみくだすにんげんです!

 

とある映画を見ていた。

 

舞台はアメリカ。登場人物たちは当然ながら西洋の顔つきをしている。物語の終盤、現地人である主人公と日本人観光客の2人が交流する場面で、わたしは思った。

 

(日本人の隣に腰掛けてる主人公、頭悪そう)。

 

映画はほとんど終わりかけており、朴訥とした主人公には好感を抱いていたし、彼に共感を抱いた場面も幾度かあったーーなのに、頭悪そう、と思った。あいつは愚鈍にちがいないと、無意識が語りかけてくる。

 

私と同じ人種の男とツーショットになったーーただそれだけのことで。

 

思いがけず湧きあがった差別感情に動揺し、気もそぞろに映画館をあとにしたーーそれから1ヶ月以上経つ今も、あの瞬間の自分を持て余している……嫌悪、している。

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頭悪い描写なんて、一秒も存在しなかった。日本人観光客に至っては、通りすがりの人物であって、性格などの詳細は一切不明。

 

見た目だけで、その場に必要のない、偏見まみれの判断を下した。そういうことをしてしまえる人間性を自分はもっている……。

 

目を背けても自己嫌悪は去ってはいかない。よく見なければとわかってはいる。

けれども、私が内包するあらゆる性質の中でも一二を争うレベルで、できれば直視したくなかった。

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このことを書こうって決めたら、答えらしきものにあっさりたどり着いた。

 

『自分の無知』を『他人の無知』にすり替えていた。

 

● 親近感を抱く=理解できる=話通じる=相手は私と同じに頭いい

● 親近感を抱けない=理解できない=話通じない=私より頭悪い

『日本語が通じるか否か』ーーその一点のみで能力値を判断していたのだ。

 

 

基準点はあくまで私個人なのに、人種の括りで判断を下している……非常によくない。

 

理屈はわかった、が、この偏見フィルターはどう外せばいいのか、そもそも外せるものなんだろうか……。

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差別感情自体は仕方がない。たぶん、精神防御機構の一部なんだろうと思う。感情は、意思でどうこうもできるものじゃあない。けれども、これを盾に肉体的・精神的に暴力を振るっちゃいかんわけで。

 

過去に他人を見下して酷いことをやらかした自分を、わたしは信用していない。この先、異文化と深く接する機会があったとき、このままだと無意識にモラハラやマウンティングをやらかしかねん。気をつけようとどんなに思っていたとしても。

 

……そうか、自分の差別感情に対するこの怖さは、過去に感じた恐怖のフラッシュバックか。恐怖の元を特定してしまえば、もうほとんど解決したようなもんだーーあのシーン思い出すとお腹がぐずっとひきつれるのは相変わらずだけれども。

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言ってしまえばスッキリするかなあと、ああいうタイトルにした。見下すことそのものには後ろめたさは皆無。それではいったい何をわたしは恥じてんだろね。

 

明日もがんばらぬ〜