へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

悲しいを何でもなくする

 

書きたいことは不安とか悲しいとか、そういうこと。

 

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ないことにしてきたし「どっか行ってくれー」と冷たい声しかかけてこなかった。悲しいまま飯を食い、シャワー浴びたり歯を磨いたり 、それが " 当たり前 " であればあるほど、いざ書こうとすると手がとまる。

 

意識して歩こうとすると足がもつれるのに似て。

 

ひとは非日常を体験するために旅をし、感動の涙が売りの映画もある。私の「よくわからんけど悲しい」も傍から見たら味だったりするだろうか?

 

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「喜楽を幸せ」「怒哀を不幸せ」――そうやって仮の名前で呼ぶからごっちゃになるけど、自分自身の幸不幸を判断できるとしたら死んだあとだけなんだろう。

 

ひとの心配をするためには「対象人物は不幸である」という前提が多少なりとも必要。それが「あなたのために言ってるのよ」がしんどく聞こえる所以だろう。

 

「(今のままでは不幸な)あなたのために言ってるのよ」

 

現状に満足している本人と認識がずれる時、親切はおせっかいになる。

 

私自身、他人を不幸だと認定しがち。気が弱そうに見える+フリーターであるためか不幸のレッテル張り被害にもよく合う。

 

訳もなく悲しいし不安でなーんもしてないこの数日を後になって振り返る時、私はきっとそれを不幸とは名づけない。

 

「あなたは今どんな気分?」

「私の助けは必要?」……他人におせっかいしたくなったら、これからはこう尋ねたい。

 

暗い色の感情をそのまま眺めてられる人間になりたいものである。それが私の思う " 大人 " かなあ。

 

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絶対的に他人のためになることなぞないから、いくら親切のリボンで飾られていても「NO !」を突きつけてもいい。

 

その決意を胸に挑んだ祖母との2年ぶりの会話。愛も優しさも重すぎて小指の先分を受けとるので精一杯。

 

それでも彼女は嬉しそうだった。

 

差し出された分と等価な何かを返さなくてはと考えるから、他人の大きすぎる親切が怖かった。

 

でもたぶんお返しは貰った分だけすればよかった。

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ローペースながら書けた書けた。

 

毎日ひとつ達成感のあるブログ生活は精神衛生によく、筆の走り具合でメンタルの観察もできている。

 

明日もがんばらぬ~