へなちょこフリーター日記

”楽に・楽しく” 生きるを提案するブログ。

「努力」の項目を書き換えようとおもう

甘味の生成は自炊と呼べるのだろうか?

 

さっきから南瓜を薄切りにしながら、 " 努力 " について考えている。包丁をすべらせて指を切らぬよう、用心して作業を進める私は頑張っていると言えるのか?

 

プリン(まあまあ)、抹茶ミルクゼリー(微妙)、牛乳寒(成功!)を経ても冷めやらぬ冷菓ブーム。つくる過程も楽しいうえ、素朴にうまくて気に入っている。美味しくできるかなーと心躍らせていると、一抹の罪悪感がちくちくわたしをさいなんでくる。

 

楽しいことを、努力と認めない自分がいる。

 

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ある日の夢。

 

わたしは弓道の大会会場で、友人が弓をかまえる姿を眺めている。「自分は何組目だったっけ?」ふと気になって大会概要をたぐると、友人よりも前の組に私の名前が載っている。わたしは慌てて準備をはじめ、矢を4本揃えようと焦るが、手に取れども取れども短いものばかり。それでもなんとか準備を終えて、会場に走る。しかしあと1歩のところでブザーが響く。高校最後の個人戦に出られなかった。

 

顧問 「幸せを何が何でも掴みにいこうって気概がないの!?」

わたし「幸せのために頑張るってどういうことですか?」

 

練習しなきゃとは思っていたけれど、勝ちたいとは1度も考えたことがなかった。矢が足りないと前々から思ってはいたが、他には誰も買い換えていないものにお金を遣うことが恥ずかしかった。矢を新しくしていれば、試合には間に合っていたかもしれないーーその考えに至って、やっと一筋、涙がこぼれた。

 

詰問する顧問の表情、足袋ごしに感じる板の間のかたさ、使い古した矢羽の手触りがいやに生々しかった。ストーリーはむちゃくちゃながら、焦って、恥ずかしくて、悔しくて、情けない気持ちには既視感があった。些細な記憶も、無意識の底に確かに沈んでいるのだろう。

 

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アルバイトに向かう道すがら、夢を反芻していた。

 

練習しなきゃとは思っていたけれど、勝ちたいとは1度も考えたことがなかった " ーー夢に限らず、実際過去のわたしがそうだった。

 

毎日弓をひいてはいたが、努力の果てに何かしら手に入れられるとは、ちっともおもっていなかった。じゃああの頃わたしは、なんのために頑張っていたのだろう。

 

以下、駅のホームで残したメモ。

努力するからには結果を出さねばならぬ。結果を出すには健康体でないと無理。なぜなら無理して我慢して泣いて痛めて罵倒されてはじめてそれを努力と呼ぶから。

 

元気のない状態で数十分の言動をしたところで、それは努力とは呼べない、結果になりっこない。

 

泣きながら頑張っても結果にならないことが常だった。それ故、 " あれ " を超える頑張りをしなければ、死ぬ気でなければ何も手に入らないと思い込んだ。

 

脳内辞書の「努力」の項目は、いつの間にやら悲惨な感じになってしまった……。笑えてしまったら努力でないから、「仕事」「責任」と名のつくものの前ではいつも硬い表情をしていた。

 

『幸せを何が何でも掴みにいこうって気概がないの!?』

 

バイトはめんどくさくって楽しい。かぼちゃプリンまあまあうまかった。笑いながら働いたって、わくわくすることを「努力」と呼んだっていいじゃあないかー。

 

 

明日もがんばらぬ~。