へなちょこフリーターの悠雅な日常

おもしろおかしく生きてます。ブログタイトルは香月日輪さんの著書から拝借。目標:週休5日。

悲しかったってはやいうち言えるとよいよな。

 

寝ながら考えたことー。

 

 

 

憎しみの反対は祈りー。

 

不条理を前に、思考を働かせて対処するって点ではどっちも同じなのかなーと。

 

憎んだところで祈ったところで、どうにもならんとわかっちゃいるが、せずにおれない。

 

憎しみは意志ではどうこうできん部分もある。常時嫌な出来事・人物がリフレインされ、体の奥で恨みつらみが燃えさかって仕方ない。

 

無力感との戦いなんだよなー。

 

苛烈な後悔。己を焼き殺してしまいかねないほどの。

 

ある程度、熱が収まってはじめて自分の問題にしていけるんじゃあないかなー。

 

悲しいって口にするには、自分の無力さをいくらか知ってなくっちゃならん。憎むよりむつかしい。でも、悲しいは1人で完結する感情だから、その分後始末は楽。

 

憎んで、悲しんで、反省する。

 

全面的に他者が悪いことにするのって、実際辛い。自分じゃどうしようもないことがまた起こるかもって考え、すっごく怖い。

 

それよりは、痛い目合わされた〜さんに似たタイプの人は避けようとか、ああいう雰囲気の場からは逃げようとか、何かしらの教訓を得るとこまでいくと、決着ついたなーってひと息つける。

 

私の場合、そこまで行くのに大体2、3年必要でした。心のダメージが大きければ、そのスパンは長くなるでしょう。

 

 

 

憎しみ自体は悪くないけども、あれってすっごいしんどいから、悲しかったってはやいうち言えるとよいよな。

 

そんで、明日はいい日になりますようにーって、仏なり神なり歌手なりアイドルなり猫なり犬なり友達・恋人なりに毎晩祈ってりゃ、1個や2個、そのうちいいことが起こるのさー。

 

 

 

 

明日もがんばらぬ〜。

 

 

本日の落書き

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ちょっとした無理が心の健康に繋がることもあるのやも…

 

建設現場の重機、テルミンみたいに鳴いている。子守唄代わりにして午睡。

 

 

平日まるまる調子が出ない。返却期限迫る本たちは部屋の隅で寝てる。スマフォばかりさわる。

 

部屋模様は心模様とはよく言ったもの。

 

ペンに消しカス、カップにちり紙、雑誌にコードに洋服に。汚れものが溢れるシンク。

 

ここまで荒れるのも珍しいわー。

 

散らかした張本人、独りごち、ネットの海に戻る。

 

日が暮れて、ようよう霧の晴れた頭で人間らしいことをする。

 

 

 

 

全然なってないなーと思う。

 

ちゃんとできないには慣れた。楽しいができないと不安になる。

 

片付けに手が回ってない、どうやら私は疲れてる。頭じゃわかっちゃいるけれど、病名や、はっきりとした原因がないままの休息には罪悪感がひっついてくる。

 

誰にも迷惑かけちゃいないんだから別にいいだろ?言い聞かせた3秒後には、おんなじことで悩んでる。

 

もうちょい元気があれば、映画なりアニメなり、刺激の強い娯楽で不安を麻痺できる。

 

1番会いたくないやつと膝をつき合わせにゃならん。ままならなさと目を合わせなくちゃならん。

 

じゃから不健康や調子の悪さ、それらの兆しに私はひどく怯える。しんどい上に、しんどいことをせにゃならんから。

 

生の糧、みたいなものは外界との間に生まれると思ってる。

自己の回復に気をまわすのに精一杯で、他者へ手を伸ばせなくなる、自発的に外界と関われなくなってしまうのもなかなか怖い。

 

と言いつつ、他人への関心が薄いからこそ、何もなさない自分に価値はない、誰も手を差し伸べてくれないと感じるんだよなー。

他人に無償の愛的な "なにか" を渡すことで救われるのは、私自身、なのかもしれませぬ。

 

 

 

 

このブログは私の外面のひとつ、人格のとある側面を使ってできている。

気分の波が多少上下しようと、大丈夫な作りにはしているが、お面がうまくハマらない日も時にはあって、連続投稿チャレンジを終えて正直ホッとした。

 

でも、口角を上げると気分も上がると言われるように、ちょっとした無理が心の健康に繋がることもあるのやもしれません。

 

このブログの書き手になることで、夏から秋にかけての3ヶ月、私はちょっぴり引き上げられてたみたいです。弱さ、みたいなものから。

 

 

そんなわけで、ぼちぼち更新してくぞい、、、たぶん、きっと、、、。

 

 

 

明日もがんばらぬ〜。

 

 

 

ブログと夢と過去と生きがい

 

 

アクセス数合計が1000を越えまして嬉しいかぎり。やんややんや〜。

 

 

ブログ休んでる間、脳がここ3ヶ月とは違う風に動いてました。つたないアウトプットながら、日常生活に影響してたのだなー。

 

特に、夢が顕著。ストーリーが凝っている。

「こっから先の話聞きたいなら金払えや!」って怒鳴ったらなぜか好評を博し山中でイベントを開催したり、マンタのキーホルダーを人にあげようとしたら濁流に飲まれて走行中の車に飛び乗ったり、キウイ味のジェラート食べたり、お洒落スカートのウエストがキツくて逃げたり…。

 

半覚醒状態での考え事がけっこう好き。内容は忘れるんだけど、解決したー!って手応えはある。

父との関係性の核心をつく夢をみて、あーそうだったのねーと腑に落ちて、これは覚えといた方がよかろうと、起きぬけでスマフォをタップする。

 

ヒプノセラピーのCDや、寝たまんまヨガのアプリ。そいえば近ごろまったく手をつけてないです。今年の前半まではばんばんお世話になっておった。

 

過去出会った怖いひとに追いかけられたり、首を絞められたりする夢を頻繁に見ていたのですが、それらの対象を論破・殴る・蹴るを経て、怖いひとではなく困ったひととしてこれまでとは違った演出で現れるようになった。

 

ひとを許す、過去を過去にするには、一旦暴力を挟んで肉体的に対象を超越するのが効果的、なんでしょかね?夢だと誰にも迷惑かけずにできて便利〜。

まあ長らく夢でさえ、体が固まったり、泣いてたり、してたんだけど。

 

 

わたしが他人に期待しないのは、期待されるのが怖いから。期待されるのが怖いのは、それにわたしは応えられない(と思ってる)から、だと気づいて、他人の気分はわたしがどうこうできるもんじゃないって事実がとてもしんどい。

しんどがってるのは幼い頃のわたし、なのだよね。

 

何をするにも「みっともない」って声が頭のなかでする。

一体誰が〜と覗いてみれば、ちいちゃい女の子で、その子はわたしを虐めてるつもりはさらさらない。「そんなことしたら誰かにバカにされたり嫌われたりするから、やめといた方がいいよ」って100%親切で「みっともない」って教えてくれてる。

 

小さいながらわたしを守ろうとして、うまくいかなくて、泣いている。守られたかったのはその子自身なのに。

 

 

 

未練、というものがそんなになくて、これは外界との繋がりが薄いから、なんだろか?

 

今の生活そこそこ充足していて、三十路で子供云々というのは理にかなってるなーと思う。

子供とか仕事とか、そういう「〜のため」がないと、快楽のためだけに生きるのはけっこう不安定だ。

わたしの場合、ネコがそういうものに当たるんだろうけど、わたしの生きる糧のために生物を飼うのは抵抗がある。

 

「私のために生きて」って求められるまま他人のために力を発揮できる仕様なら楽なのに、力を注ぐほど死にたくなってしまう人物・対象ってのももちろんあって、根底はやっぱり生きたいからそれに関わるわけにはいかず…。

 

自分で選ぶしかないんだよなー。

めんどくさいめんどくさいめんどくさい。

 

死ぬ以外の道ならどこでもいいのに、他者に選択権委ねると絶対死に導かれるのなんでじゃ?

 

強靭な肉体と精神が欲しかったー。

 

 

 

 

 

 

疲れたから楽しいことしたいけど、疲れててなんもできない日でした。

 

働いたし、ブログ書いたからよし。

 

 

 

明日もますますがんばらぬ〜。

 

 

 

 

 

 

フリーターの効能~「正しい大人」を脱いだらあとはずるずると~

 

夕方から出かけるのは断念して、とろとろ惰眠をむさぼる。 

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23時就寝&7時起床でも大丈夫な日が増えてきた。

10時間以上睡眠をとっても一日中眠い。頬が凝る、頭痛でイライラする。ここ数年、そんなしんどい日の方が多かった身としては、人によってはごくごく当たり前な生活リズムを送ってる自分自身がなんだか不思議。

 

過眠、肩こり、顔こり、頭痛、生理不順。全部が全部、原因はストレスだった。

フリーターになってからちょっとずつ改善していって、時たまひどくはなっても、日常的に悩まされることはほぼなくなった。

 

誰それにに××された、〇〇がうまくいかなかったー細かく見てけば切りないが、私のストレスのほとんどは「できないことをできるように振る舞った」その一点に尽きる。

 

ひとより頭がいいと思ったり、ひとに興味を持とうとしたり、ひとつのことを極めようとしたり、計画通りに事を運ぼうとしたり…きっと最初は、意図的にフリを選択したんだろう。徐々にその事実を忘れていって、かぶった皮こそが自分だと思い込んだのがストレスの始まり。

 

あれもこれもできない。25歳でフリーターになった。「正しい大人」という強固な皮を脱がざるを得ず、だったらもう他もいっかーとばかりに開き直った。

「親孝行な子ども」「身なりのちゃんとした女」「賢い頭」・・・自分だと思っていたものがそうではないと自覚するのはまあまあしんどい。ひとつ捨てるごとに気持ちが軽くなるのは確かで、それがわかるとあとは早かった。なーんもできないなーって笑いながら呟けるようになるまで。

 

生きやすさに能力の有無や質は、たぶんあんまり関係ない。

そんなもんなくても大丈夫って知ってるかどうか。

 

できない、わからない、知らない。

ちゃんとそう言えて、それを恥じないで立ってられたら。

 

 

 

 

明日もがんばらぬ~。

 

 

 

11月、謎なやる気に満ちている

 

1年前の11月。

勢いでハロワに行って、永遠に終わらないんじゃない?ってくらい続く適性診断に泣きそうになったりしてた。

 

 

気温なのか湿度なのか、はたまた夏の疲労が回復するのがこの時期なのか。

私は再び、謎なやる気に満ちている。9時5時週休2日ライフを、今なら送れる気がする。

 

何したいの?そう問われて、なんでも、しか言えない私は、係のひとを困らせて。本当に働けるんだろうか?って不安に心が沈んでいった2016年年末。

 

あの時とおなじ心持ち。慎重にならざるを得ない。

 

 

 

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サイトのデザインを練ってました。

 

情報伝達速度がはやい形、視覚的なデザインで、私は諸々をまとめたかったらしい。

 

写真や図+文章の形式で記録を残し、その一覧をぱっと把握できるとストレスレス。

 

パソコン上でのデータ確認は、フォルダを活用しても、量が増えるごと 気持ち悪くなっていく。スマフォのアプリもアイコンがずらーと並ぶのが苦手であんま増やせない。まとめると何入れたかわからんなるし…こういうのって私だけ?

 

写真なんかはブログなどで使用後に即削除するんだが、あとから欲しいって時に探し出すのが手間。

 

理想は本棚。本屋や図書館はあれだけ情報が詰め込まれてるのに、むしろ心地いい。二階層が私には限界?

 

個人的に欲しいだけだけども、どうせサイト構築するんなら公開したいなー。そこまでいけるじゃろか…。

 

 

明日もがんばらぬ〜。

 

 

” 先立つもの ” がモノを言う!?~WordPressの始め方2~

 

WordPress始めたるわー!

 

勢いいさんでサーバー契約から順に手を出してみたんですが、最初にまとめて ” 先立つもの ” がそこそこ必要だと発覚…。手鼻くじかれた~

 

 

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1、サーバー契約

サービス・サポート内容によって100~2000円ほど / 月(初月のみちょっと割高)。

支払方法は1か月~数年単位まで細かく選べる。

 

2、ドメイン(独自アドレス)取得

1の時点でドメインは一応取得できている。アクセス数に関わるので長年使い続けられる名前にしておくと望ましい。一番後ろにくっつく.jp、.com、.orgなどによって値段が大きく異なる。100~3000円が相場?もっと高額のものもある。


3、WordPress本体のインストール

インストール自体は無料で簡単にできる。

WordPressに登録するにはプランを選ぶ。無料、月額400円・900円・2980円の各プランあり。年一括払いのみ!使い勝手よさそうなのは900円のプランだけども、それだと最初に18,000円必要…。

(無料プランでもブログは可能だが、これだったら無料ブログサ―ビスで十分かなーって印象)

 

 

で月500円コース(月ごと支払い)、で1,600円のドメイン取得、WordPressで400円プランを選択した場合、

費用を合計すると初月 約8,000円、その後はサーバー利用料として月600円ってとこでしょか?

 

初期費用2,000円くらいでカスタマイズ自由自在なんかなーって思ってた…費用対効果は決して悪くないんでしょーが、一旦保留!

 

 

 

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行き場のなくなったやる気は、アマゾンのアフィリエイトサイトへの登録を済ませて発散。こちらもずっと気になっとった。

 

収益はもちろん気になるけど、書影を反映できると図書館で借りてきた本も振り返りやすくてよさげ。

 

はてなブログの有効活用法を模索しつつ、自分でHTML・CSS組む方向も探ってみよかなー。なんだかんだで職業訓練で習ったこと役立っとんな。

 

 

 

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ブログ継続できたんで、次は運動続けてみようと思う!

Twitter @tomokusameiにて経過報告中。こちらもよろしく~

 

 

 

明日もがんばらぬ~。

 

 

 

わたしはひとをみくだすにんげんです!

 

とある映画の舞台はアメリカで、登場人物たちは当然ながら西洋の顔つきをしておりました。

物語の終盤、現地人である主人公と日本人観光客の2人が交流する場面でのこと。

 

(日本人の隣に腰掛けてる主人公、頭悪そう)

 

映画はほとんど終わりかけており、朴訥とした主人公には好感を抱いていたし、感情移入したシーンも幾度かあった。

なのに、頭悪そうと思った。あいつは愚鈍だと無意識が語りかけてくる。

 

私と同じ人種の男とツーショットになった。ただそれだけがきっかけで。

 

思いがけない差別感情に動揺し気もそぞろに映画館をあとにし、それから1ヶ月以上経つ今もあの瞬間の自分を持て余している。嫌悪、している。

 

 

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主人公が頭悪い描写なんて一ミリもなかった。日本人観光客に至っては通りすがりの人物であって、性格などの詳細は一切不明。

 

見た目だけで、その場に必要のない、偏見まみれの判断を下した。そういうことをしてしまえる人間性

 

なんでだろーって、ずっとずっと考えた。

 

目を背けるのは、自己嫌悪を手離すのには適してない。よく見なきゃってわかっちゃいる。

けれども、私が内包するあらゆる性質の中でも一二を争うレベルで直視が怖い (笑)

 

 

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このことを書こうって決めたら、答えらしきものにするーとたどり着いた。

 

「自分のわからない」を「相手の無知」にすり替えていた。

 

・親近感を抱く=理解できる=話通じる=相手は私と同じに頭いい

・親近感を抱けない=理解できない=話通じない=私より頭悪い

「日本語が通じるか否か」、その一点のみでの能力値の判断。

 

ヨクナイヨ、ヨクナイヨ、ヨクナイヨ、、、

 

基準点はあくまで私個人なのに、人種の括りで判断下してるのもヨクナイヨ。キケンダヨー。

 

こうしてやとこさ理屈はわかった。

が、この偏見フィルターはどう外せばいいのか、そもそも外せるのか…。

 

 

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差別感情自体は仕方ないと思うのです。たぶん、防御機構の一部ではあるので。感情だから、意思でどうこうもできん。

しかし、これを盾に肉体的・精神的に暴力を振るっちゃいかんわけで。

過去に他人を見下して酷いことをやらかした自分をわしは信用してない。この先、異文化と深く接する機会があったとき、このままだと無意識にやらかしかねんと思う…。

 

 

、、、書いててわかってきた。

この怖さは、過去に感じた恐怖のフラッシュバックか。どの時点のなんに対する怖さかわかってないから引きずってんのね。なるほどねー。久々に無意識層に潜るとするかー。

 

 

 

けっこう解決に近づいた。あのシーン思い出すとお腹がぐずっとするのは相変わらずやけども。

 

タイトルは言ってしまえばスッキリするかなーと。見下すことそのものには後ろめたさ皆無!

じゃあ何を恥じてんだろね。

 

 

 

明日もがんばらぬ〜。