へなちょこフリーターの悠雅な日常

おもしろおかしく生きてます。ブログタイトルは香月日輪さんの著書から拝借。目標:週休5日。

夢ではだかと宙ぶらりん

 

はるに ふれた。

 

 

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京都旅行記は一旦おやすみ。

 

夢に海パン姿の男がでてきた。たっぷりの脂肪がついた背を竹箒ではたいたら、ぷるんぷるんと揺れていた。

 

けっして美しいとは言えない体を晒しながら恥じないばかりか、男は不敵に笑っていた。竹箒ではたかれてもずっとニヤニヤと笑っていた。

 

夜中に目を覚まし、しばらく経っても、男に制裁をくわえる一部始終だけでなく、その前後の別の情景も頭から薄れていかなかった。なんだかいつもちがう、夢の様相。もう一度眠りにつくかつなかいかのあわいで、夢に解釈をつけてみることにした。

 

 

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わたしはどうやら男が羨ましかったらしい。

 

男は中学の時の先生の見た目をしていたけれど、その人自身というよりは男性性の象徴として現れたのだとおもう。

 

なんでほぼ裸のような格好をしていたかというと、それは最近みた旅番組に影響を受けている。そこではバナナマンの日村さんがしょっちゅう海パン姿になっていて、まるまるとしたお腹がでーんと大写しになっていた。

 

番組の最中にはただただ笑うばかりで、「うらやましい」とおもっていたとは、自分でも気がつかなかった。けれど夢の中の男に相対した場面をなぞってみると、心の奥底ではあるがたしかにうらやましがっている。

 

人前で肌をさらせていいな。太っていても堂々とできていいな。

 

もともとは男に対する嫌悪感が竹箒を手にした動機なんだけど、うらやましさがねたみに変わるなかで振りおろす手に徐々に力がこめられていった。

 

 

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おなじ夢内の別ストーリーにおいては男性性だけでなく、女性性にも拒絶をしめしていた。そして「わたしには母性本能がないから」との発言には大変驚いた。母性本能について、真剣に考えたことなどこれまで一度もないのだ。夢の中のわたしは自信満々に断言していて、そうなのかもしれないと納得させられてしまった。

 

ここでいう母性本能とは「母性本能をくすぐられるから好き」とかって文面で恋愛対象につかう意味合いのもの。

 

わたしは異性を異性というだけで甘やかす気はもう一切ないのだと、夢の中のわたしに教えられた(自分の性別を寄るべにしないと決めたんだろうか?)。

 

外の男性性に嫌悪しながら、内の女性性をうとましいともおもっている。自分が女であると意識すれば、男性について考えないわけにはいかないだろう。

 

答えは出せずに、いまも宙ぶらりんなまま女をやっている。

 

 

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夢のストーリーを明確に言語化できるのは感情が激しくうごいた場面だけ。あとはなんとなくの繋がりはみえたとしても、どうもすっきりしない。意味なんてないのかもしれんけど。

 

ここ数日、具体的な展開・登場人物の多い夢をみている。

 

いろいろと心の整理がついてきたんかなという気もするし、あたらしいことを始めた影響もあるのやも。

 

夢占いよりももっと実践的?な夢解釈の学問あったりせんのかな?それこそ心理学になるんかなあ。春だからかなんなのか、学びに意欲的な今日このごろです。

 

 

満身創痍フリーターの京都旅行5『見どころ満載 圓徳院』

 

京都2日目、2か所目は圓徳院

 

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石塀小路を東へ抜け、左に曲がって少しいったところで、新緑を切り取った門に目を奪われた。 ふらふらと引き寄せられ、高台寺・掌美術館との3カ所共通拝観券900円を購入。

 

そこは圓徳院で、豊臣秀吉の妻・ねねが晩年を過ごした場所だそう。美しい庭園、襖絵をはじめとする美術品を鑑賞できるほか、写経・座禅体験、お抹茶がいただけたりと見どころ満載。白砂線引体験とかもあるらしい。なんとすべて写真撮影可。

 

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あまり知られていないのか、外の賑わいに反し、参拝者は数えるほどしかいない。入ってすぐにある美しい石庭(南庭)を10分ちかくひとり占めできた。鳥の声だけが響く贅沢な時間。京都市内において、他人の目を気にしないでいられる寺院って珍しいんじゃないだろうか?

 

襖絵「白龍」もよかったんですが、わたしが見入ったのは蓮独鯉襖絵。薄墨で蓮の葉がえがかれ、鯉が跳ねていたのかな?その鯉が生きてるようにみえる不思議な襖絵でした。もう1度見たいなあ。

 

一番最後にあらわれる北庭。縁側に座っての鑑賞もいいですが、部屋の奥に立つと窓枠に区切られた風景が一枚の絵画のように見えます。紅葉の時期は賑わうんでしょうか?当時は数組しかおらず、あんなに美しい景色があまり知られていないなんて、不思議なこともあるもんだ。

 

*体験メニューもたくさん(公式サイトは古いデザインだけれども、こっちは凝っててとてもよいこともあって貼っとく)。

 

 

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京都駅からも近く、静かに庭園・襖絵を味わえるので圓徳院、おススメです。

 

*こちらのブログ記事は写真が豊富で、圓徳院の美しさが伝わるんじゃないかと。

 

 

つづく。

 

 

*この本、気になる!よさげ。

圓徳院住職がつづる高台寺物語 (日本の古寺)

圓徳院住職がつづる高台寺物語 (日本の古寺)

 

 

 

 

満身創痍フリーターの京都旅行4『これぞ京都! 石塀小路』

 

京都2日目、高台寺を目指す途中にとおった、石塀小路。

 

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安井金毘羅宮をあとにし、双龍図をめあてにすぐ近くの建仁寺へ足を踏みいれた。そこには長蛇の列が。行列に加わろうかと一瞬おもったが、なんだか気乗りせず、来た道を引きかえすことに。

 

これからどうするかな。

 

とりあえず東へと歩くわたしは、一枚のポスターに目をとめた。それは華やかなピンク色をしており、桜のライトアップ、絵画の展覧会の開催を知らせていた。場所は高台寺

 

高台寺という名前をはじめて聞いた。もちろんどんな場所なのかはわからない。けれどなんだかとても気になり、新たな目的地に設定した。

 

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「これぞ!京都!」なスポット、石塀小路。

 

高台寺北門通(ねねの道)と、その一本西の下河原通を東西につなぐ石畳や石塀が美しい小道。明治末期から大正時代にかけて形成された京情緒漂う路地による空間は、ドラマや映画によく登場する名所。路沿いにひっそりと軒を連ねている料理旅館などを眺めながら歩くだけでも、風情を感じることができる。 じゃらんnetより

 

わたしがおとずれた際には、着物女性の撮影が行われていました。石畳と木の塀がマッチしていて、歩くだけでテンションあがる!

 

*こちらのブログ記事の後半を見ていただけると雰囲気が伝わるかと…。


 

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こちらの写真は石塀小路からは外れているのだけれど、高台寺周辺ではこういう絵になる小道をいくつか発見した。

 

京都に何度かおとずれたことはあっても「京都っぽい~!」って興奮は初めてだったかもしれない。まるでテーマパーク。こんな場所が現実に存在しているとは夢がある。早朝など、人の少ない時間だと尚楽しめるとおもう。

 

 

 予定変更がさっそく功を奏したわけであるが、このあともうひとつ、印象的な偶然の出会いを体験することとなる。

 

 

つづく。

 

 

*京都の小路を紹介する本は多数ある様子。小路散策を目的に旅程を組むのもいいかもなあ。

京都 小路の風に「京の十編 初夏から夏へ」 (BoBoBooks)

京都 小路の風に「京の十編 初夏から夏へ」 (BoBoBooks)

 
京都人がひそかに愛する 京の路地・小路、かくれ店 (通の行く京都)

京都人がひそかに愛する 京の路地・小路、かくれ店 (通の行く京都)

 
大人の京都 路歩き 大路・小路・路地で見つける物語

大人の京都 路歩き 大路・小路・路地で見つける物語

 

 

 

 

満身創痍フリーターの京都旅行3『意外とこわくない 安井金毘羅宮』

 

京都2日目、祇園周辺を散策。1か所目は安井金毘羅宮

 

わたしが訪れたのは午前10時ごろだったかな?人が少ないこともあって、清々しい朝の空気が心地よかった。

 

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ご祭神は源頼政公、崇徳(すとく)天皇大物主神(おおものぬしのかみ)

 

主祭神崇徳天皇は、讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切って参籠(おこもり)されたことから、当宮は古来より断ち物の祈願所として信仰されてきました。

 

また、戦によって心ならずも寵妃阿波内侍とお別れにならざるを得なかった崇徳上皇は、人々が御自身のような悲しい境遇にあわぬよう、幸せな男女のえにしを妨げる全ての悪縁を絶切って下さいます。男女の縁はもちろん、病気、酒、煙草、賭事など、全ての悪縁を切っていただいて、良縁に結ばれて下さい。  公式サイトより

 

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縁切り縁結び碑(いし)。

 

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高さ1.5メートル、幅3メートルの絵馬の形をした巨石で、中央の亀裂を通して神様のお力が円形の穴に注がれています。  公式サイトより

 

表から裏へくぐりぬけて縁を切り、裏から表へで縁を結ぶのだそうです。縁切りだけでなく、縁結びの御利益もあり、カップルや夫婦でおとずれると絆が深まるのだとか。

 

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境内には本殿や縁切り縁結び碑のほか、稲荷社などのさまざまはお社がある。

 

境内をひととおり回ってみて、一番居心地のよかったのは本殿むかって左に位置する遥拝所。

 

ネットをさらった感じでは明言されてはなかったんですが、方角からし香川県金毘羅宮(通称こんぴらさん)を遥拝できるんだとおもいます。海の神様。

 

当時住んでた高知県からひとりで18切符で鈍行乗り継いでいったなあ(なぜこんぴらさんを目指したのかは今となってはなぞ)。なんかよくわかんないけど好きで、その後も2、3度おとずれている。定期的に行きたくなる場所のひとつ。

 

本宮まで785段、奥社までは1368段をえいこらせと登ってお参りします(参道の麓で食べられるうどんがうまい)。江戸時代には伊勢参りと並びこんぴら参りも人気だったそう。

 

安井金毘羅宮をたずねたときにはなんの社かわかってなかったけれど、こんぴらさんに参っていたとなれば居心地のよさにもなんか納得。

 

*こんぴら参りの雰囲気が伝わる記事を見つけたので貼っとく。


 

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写真の木札にもあるとおり、碑には毎朝お祓いをほどこしているそうで、形代(もとい人々の念)にまみれた碑を別段こわいと感じなかったわけは、朝の早い時間だったからってのがあるやも。

 

30分も経つと修学旅行生や団体客で碑には行列ができていた。

 

よいスタートを切れた満足感を胸に、にぎやかな境内をあとにした。

 

 

つづく。

 

 

 *神社が本を出しているらしい…気になる。

縁切り力

縁切り力

 

 



 

満身創痍フリーターの京都旅行2『大森靖子の京都旅行』

 

京都1日目 大森靖子アコースティックライブ@京都。

 

 

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ライブも見ずによもや帰宅か!?と最悪の展開をマッサージにて回避。マシになった身体をひきずって会場の京都文化博物館へ。

 

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博物館別館ホール。厳かな雰囲気はさることながら、音の響きも最高でした。

 

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以下のライブ感想は、当時のTwitterからひっぱってきてみた。

 

わたしはこれを読むとライブ後の興奮を生々しく思い出すんだけど、ほかの人はどんな風に感じるんだろか。

 

 

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ちゃんづけができそうにないくらい男前で圧倒されて笑うしかなかった。

 

きるように歌うんじゃなくて、切れるもんなら切ってみろよ、できるもんならな、って不敵に笑う感じがたまらんかったです。惚れいでか。

 

ピアノは謙虚に引き立て役に徹し、浮かび上がった靖子ちゃんをホールが飲み込んで、音が空気に溶けてた。

 

あ春だなって感じるのと同じくらい自然に、あ靖子ちゃんだなって肌が教えてくれる。季節くらい劇的に当たり前に、わたしは靖子ちゃんを認識している。

 

「M」も「オリオン座」も傷を歌ってるんだとおもうんだけど、ホールサイズに拡張されると生命力が際だって、こんなに力強い曲だったのか!と驚かされた。

 


曲の生まれる瞬間に立ち会っているような厳かな空気。音源がピアノで収録されてる曲だと尚更。音楽が生まれて空気に溶けてく一瞬が消えて、また新たに生まれて消えての繰り返しが曲になっていた。

 

「ドグマ・マグマ」の弾き語りがめーちゃくちゃかっこよかったー!腕の筋が浮きあがって、サビ終りのギュイーンとか、もう、もう…。強さの質が進化してる。言葉にできない。

 

 

アルバムコンセプトの話聞けたのも嬉しかった。輪廻とタイムループと八十八か所巡礼のTBH。踏み絵と集合と重なりのキチガイア。

 

 

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最近よく眠れなくて顔と右腕が時々しびれて微熱がでる。頭が凝って痛い。ようよう職業訓練にでて帰ったら即寝。心がちょっと死んでるし身体もそろそろダメかもなー。

 

普通に働いて普通にご飯食べて普通に笑ってたい。ささやかな願いがなかなか叶わず。大きな夢なんてとてもじゃないと自然に考えて心がちびっとずつ死ぬ。

 

靖子ちゃんがこちらを向いて歌ってる。靖子ちゃんの意識、これからの歌の一要素になれたかもしれない。死んでもいいとおもった。靖子ちゃんのためなら死ねる。どうせ身体が動かなくなるなら好きに生きたい。私が殺さなければならないのは「みんなみたいになろうとする」わたし。

 

おなじ苦しいなら半径1mからの理解を捨てようって決めた。理解されようと言葉を重ねたら自分がわからなくなる。好きに楽に生きた先で、よくわかんないけどいいね、って言ってもらえたらいいな。

 

わかんないんだよね。褒められるほどわたしじゃなくなってく。それでいいかとおもってたけど死んじゃいそう。お金はおまけ、みたいなもんで絶対の評価ではないかなって。だってお金が絶対価値なら、いまのわたしの価値ほとんどないってことになる。そんなわけねー。

 

こうやってダラダラ書いたって伝わらない。わたしはひとりでもノートに言葉を並べる。息をするのとおなじ。やらなきゃ死んじゃう。理解はおまけ。切り離してかんがえないと発狂しそう。

 

職業訓練の先生が「情報は伝わらないと無価値だ」ってよく言う。わたしの全部を否定された気分になる。正論だから言い返せないけど、それってコミュニケーションじゃない。わたしが居てもいなくても先生の論理は変わらない。わたしが消えてく。過去がフラッシュバックする。

 

誰も代弁してくれないから、わたしが発するしかない。身体のそとに残さないとなかったことになる。

 

自分が死んだ分、他人を殺すより、自分を生かして他人の生を願いたい。靖子ちゃんみたいに。10年がんばろう。靖子ちゃんみたいな男前になりたい。芯から強くありたい。

 

たぶん大丈夫。間違っててもいい。逃げてるだけとしても生きてりゃなんとかなる。ひとまず生きつなぐのに必要とおもうことをする。

 

 

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弱い自分と縁を切りたい。

 

ライブ帰りに立ち寄ったカフェでパスタをすすりながら、明日は安井金毘羅宮に行くと決意した。

 

 

つづく。

 

 

kitixxxgaia

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満身創痍フリーターの京都旅行1『波乱の幕開け』

 

2017年4月の京都旅行の話。

 

1年近く経ち、今更感は否めない。しかしながら、あの1泊二日はわたしにとっての一種のターニングポイントで、京都の見方が変化したちょっと不思議な旅でだった。風化してしまわぬうちに記録をのこしておきたいとおもう。

 

*下は二日目、高台寺付近の眺め。

 

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旅程はこんな感じ。

 

1日目 京都ほぐし堂 三条河原町店(全身ほぐし90分¥5070)

             河原町散策

             大森靖子の京都旅行(京都文化博物館別館ホール

     ゲストハウス 菜の花(¥2600 / 泊)

 

2日目 安井金毘羅宮

     圓徳院

             高台寺

             金の百合亭(たまごサンド)

             祇園白川散策

 

充実した旅であったものの、体調は万全といかず、写真はあんまり撮ってなかったようです。

 

 

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旅のきっかけは大森靖子のライブ、2月か3月に勢いでライブチケットをとったんだったかな?

 

せっかく京都に行くのだから、ライブの前後で神社仏閣巡りをしよう、2日目には早起きをして鈴虫寺に行こうと計画をたてていた。

 

が、しかし。

 

旅程でわかるとおり、京都に降りたったわたしが一目散に向かった場所はマッサージ店…もちろん計画外のこと。というのも、往路のバス車内にて、泣きたくなるほどの肩こり・首こりに襲われるという波乱の幕開けだったのである。

 

本やネットサーフィンの快楽ではごまかしの効かない苦痛に耐えきれず、「京都駅 マッサージ」でグーグル先生に助けを求めた。90分のコースを予約しているので相当しんどかったのだとおもわれる。

 

運のいいことに当たりのマッサージ師さんを引き当て、カーテン越しに行楽日和を感じながら、気持ちよさに身をゆだねた。

 

 

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この頃は体の不調にまだまだ鈍感で、こうして限界まで我慢をかさね爆発してはじめて回復に時間を割くといった有様。連休という、気の緩んだ隙をついて発せられるエマージェンシー。

 

職業訓練とバイトの二足のわらじ。週休1日、みんなができるんだから、わたしだってできて当たり前。ふわふわな根拠を守るため、疲労も苦痛もないことにしていた。

 

そのツケが、これ。

 

知らない町でかきたてられる不安をなだめなだめ、宿の布団にもぐりこんだ。

 

 

 

 つづきます。

 

 

 

京都おさんぽマップ (ブルーガイド・ムック)

京都おさんぽマップ (ブルーガイド・ムック)

 

 

 

痛みをとりもどせますように。

 

くうきに とけたところから   しろくなってくように。

 

 

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傷を放置してるひとがいた。

 

痛覚が鈍くなってるんだろう。手当すりゃ治りは早かろうに、そんなことに気づけずにいる。

 

「自分のこと、なに大事にしてんだよ」って言われるのが怖くて、自分の傷を後回しにしてきたのだとおもう。

 

 

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「注意されないように」って守りに入ると、視野が狭くなる。繰り返しの世界から出ていけない。

 

過去の失敗を防ぐことに必死で、刻々と変化する現在に反応できないんだよな。

 

わーかーるーーー。

 

見えてないもんはないも同然だから対処の仕様がないんだけど、見えてる人からしたら「あいつスルーしやがった」ってなる。見えてない人の立場はどんどん悪化。がんばってるのに。

 

 

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冒頭の人に接すると、胸がきーとなったり、恥ずかしかったり、やりきれなかったりと、なんとも言えない気持ちにおそわれる。

 

過去のわたしに対面しているようで。

 

「もっと自分を大事にしなよ」

「肩の力抜きなよ」

「怯えなくていいよ」

 

かけたい言葉はたくさんあって、でもどれもおせっかいだよなーとか、立場的な問題もあり、今のところ見守るだけにとどめている。

 

その人の内面がどんな感じなのか、ある程度わかるし、その人を理解し難いとおもう側の気持ちもわかる。

 

両方に余裕がないからこそ、個人の性質に落としどころを見出しているのであって、本当はなんの問題もないのになー、、、

 

 

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仕事にしろ結婚にしろ、関係を結んだら容易に離れられないの、こわい。

 

「分かり合えないなーっておもったら即離れる」ができたなら、心底他人に腹立てたりしないとおもうんだ。

 

「他人と一定の距離を保持」のフラストレーション半端なくないですか?対人ストレスの要因はほぼこれなのでは?

 

わたしが結婚に乗り気ではないのは、結婚におけるパートナーとの適切距離がある程度決まってるからなのやも ( 近距離の繋がりを他人と維持できるとは到底おもえないよ )。

 

関係性の定義、暗黙マニュアル、みたいなものの存在にいちいち「なんで?」っておもっちゃう。

 

人との距離は日替わり・秒替わり、自分の意思と気分で決めてきたい。

 

 

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筋トレ、地味につづいている。

 

今年の二軸を筋トレとブログに定め、ゆるゆると力をつけていけたら…。

 

とっさに思いを伝えるってのが超絶苦手、というかほぼ無理なので、ここで書いたことが巡り巡って必要とする人のところへ届けー!とおもってやっています。

 

 

 

冒頭の人が痛みをとりもどせますように。